<食べる人シリーズ-立ち食いそば編>
負けた。
立ち食いそば歴40年にして、初めて、食べる姿と速度に負けました。
場所は初台駅から徒歩10秒の、揚げたて巨大かき揚で有名な、「加賀」である。
濃紺スーツの彼は二十代後半、180センチ以上の長身であった。
竹輪天そば400円が来ると、丼をアゴの下まで持ち上げた。
僕は持ち上げない。
美しくないのは承知だが、丈夫で長持ちが優先する立ち食いそば屋の丼は、厚く重い。
そのため、置いて食べた方が、安定するからである。
しかし彼は持ち上げた。
しかもそばを箸でつかむと、20センチほど持ち上げてから手繰っている。所作がきれいではないか。
その上早い。
僕の後から注文したのに、楽々追い越していく。
そのまま、一度も丼を下ろさず、食べ終える寸前、事故は起きた。
突然むせて、目前に並べてあったコロッケ二個に、飛沫が飛んでしまったのである。
「すいません」と謝るも、
「大丈夫ですよ」と、ご主人はにこやかに応えた。
彼は、コロッケ二個の代金120円を差し出そうとするが、
「大丈夫ですから」と、ご主人が柔らかに制止する。
最後に彼は、「ご迷惑おかけしました」と深々お辞儀をして、店を後にした。
「ありがとうございます。お世話になりました」と、その後ろ姿に、ご主人の優しい声がかかった。