四川料理と聞くと、人がまずイメージするのは「辣」、辛いということではないだろうか。
中には、山椒の強烈なる痺れの「麻」を思い浮かべる人もいるかもしれない。
しかしここ髄息居では、そうした概念が崩れ始めていく。
もちろん辣も麻もふんだんに料理に盛り込まれていて、舌や喉、胃袋を揺さぶり、魅了する。しかし次第に、魅力はそれだけではないことに気づくのである。
例えば、麻婆豆腐の豆腐の代わりに豚の脳みそを使った「麻婆」を食べてみる。
皿に顔を近づけると、まず、オレンジのような甘酸っぱい香りと、鼻腔を刺す挑戦的な香りが立ちのぼってくる。食べるとそこに、乳のような甘い香りと苦い香りが加わって、重なり合うのである。
さまざまな香りがからみあった複雑な香りのグラデーションは、忘れえぬ個性を頭に刻み込ませる。
香りだけではない。
味の薄い日本の豆腐を使った麻婆豆腐とは異なり、脳みその豊かな甘みが、辛みや痺れ、豆チのうまみと渡り合い、ダイナミズムを生んで圧倒するのである。 さらにほかの料理を食べていて気づくのが、辛味の奥行である。
蛙のしなやかな肉体と甘みが、柔らかな辛味の中で弾ける蛙の煮込み。
二種類の唐辛子を大量に使って、辛味と香りの変化を引き出した鳥肉の唐辛子炒め。
甘酸っぱい味わいの中より鮮烈な辛味が爆発し、牛肉の滋味を引き立てる水煮牛肉。
唐辛子の漬け物の辛味と塩気が、イカの甘みを際立たせた、スミイカの子供の唐辛子炒め。
さまざまな辛味の強度と、絶妙に辛味と組み合わせた酸味や甘み、塩味が、素材の持ち味を生かしている。そう、すべての素材にとっての必然の辛味が、巧みに駆使されているのである。
こうした香りの総和、味のダイナミズム、辛味の奥行という三つの魅力こそ、料理長山下さんが、四川の地で会得したものではないかと推察している。
現在では、フレンチやイタリアンでは、料理人が海外に出かけて修行するのは当然のようになっているが、中国料理の世界では極めて希である。
必ずしも、海外で学ばねばすぐれた料理が生まれないということではないが、山下さんの料理には明らかに異文化の根太い精神が漂っている。それが我々を驚かせ、戸惑わせ、喜ばせ、ひいては四川料理の敬意へと結びつかせるのである。
辛い料理だけではなく、甘醤油のコクの中で山椒の香りを利かせた雲白肉、ジャガイモの甘みが生きた回鍋、奥深い滋味に富んだ烏骨鶏やタツノオトシゴ入り薬膳スープ、黒酢の香りと山椒の香りが共鳴し合う棒々鶏、精妙に火が通された赤ハタの蒸し物、麻、辣、塩、甘、酸、旨、香の七味が込められた怪味鶏、芽菜の酸味と豚の甘みが舌の上で溶け合う豚の角煮などなど、すべての料理に四川文化の精神が詰まっている。
ただしこうした味わいは、事前に予約し、山下さんと予算や嗜好を打合せし、コースに組み立ててもらわないと出会えない。
場所柄のせいか、店は極々一般的な中国料理や麺類を楽しむ近隣のお客さんたちが主流なのである。
都心からの遠さをいとわず、驚きと喜びを求めて出かけよう。山下さんの腕を引き出し、さらなる高みに登ってもらうのは、我々客の務めなのである。
隋息居