2日続けて

日記 ,

2日続けて、満員の通勤電車に乗った。
修養が足りない僕は、もうたまらん。勘弁してくれと、思う。
長く通勤電車とは無縁の人生だった。
現在はもちろん、前職だったレコード会社時代も無縁だった。
見ていると、スマホさえいじれない状況である。
席に座る人の8割は就寝され、立っている人の7割は、夢想にふけっている。
なにを考えているのだろう。
電車が大きく揺れる。立った全員がよろめき、身を寄せ合う。
その瞬間に夢想は途絶え、またみんなで夢想を始める。
将来人間の夢想がエネルギー転換される技術が開発されたら(開発されないとは限らない)、通勤ラッシュは一つの巨大なエネルギー体となすかもしれないと。夢想してみた。
この中には、こんなくだらないことを考えてないで、「我思うに我あり」と、夢想にふけっている人も居るのだろうか。
あの30代のサラリーマンは、あの公務員風の男性は、あの30代女性は、なにを考えているのだろうと夢想しはじめたらとまらなくなった。ガラガラの電車ではこういう現象は起きない。と思う。
中には達人がいて、無の境地に入っている方も入るのかもしれない。
まあこの息苦しい状況をなんとか、楽に考えようと、大腿二頭筋の鍛錬にいいとか、他人の匂いに大しての耐性が出来るなどと夢想したが、ちっとも楽にならない。
そこで以前テレビで見たインドかバングラディッシュの満員電車を、思いだし、彼らの気持ちを夢想した。
夢想さえ出来ない、怪我や死と隣り合わせの状況である。
それに比べればなんと楽なことかと、無理矢理夢想してみたのであった。