‘81年、鈴木清順監督による、泉鏡花の「陽炎座」が映画化された。
劇中、松田優作と原田芳夫が酒を飲み交わす場面がある。
裸電球が落とす、鈍い明かりの中で、黒光りする板張り床に座って、卓袱台に徳利を倒しながら酔う松田優作。
渋い光沢を放つカウンターに手を伸ばして、おひつから飯をよそう原田芳夫。
大正末期の居酒屋の空気が、しみじみと伝わってくるシーンであった。
撮影に使われたのが、居酒屋「根津の甚八」である。
根津の裏路地に佇む店は、映画人や文士、あるいは近隣の東大教授や日本医大病院の医師といった、粋人の常連たちに長く愛されていた。
初めてこの店を訪れたのも、確か81年ごろであった。
風評によると、偏屈な親父が一人で切り盛りしており、気に入らない客は帰すという。
品書きはなく、一方的に出した肴を、黙って食べさせるという、手強い店であるらしい。
「一度この店で飲み、いつか常連の一人になりたい」と、不相応に考えた20代半ばの私と友人は、店開けに入ることにし、四時半、決意に鼻を膨らまして、根津駅に降り立ったのである。
暮色に染まりつつある町は、買い物客が忙しそうに行き来していたが、不忍通りから一本入ったその路地は、時折野良猫が横切る程度で、ひっそりと静まり返っていた。
下町の面影を残す、閑静な路地をそろそろと歩いていくと、薄闇のかなたにポツンと行灯の灯が見えてきた。
店は仕舞風一軒家で、いくつかの植木に囲まれている。屋号と「酒さかな」と記された櫨行灯に瓢箪型の赤提灯、幾人もの酒客がくぐってきた縄暖簾が、静かに飲み手を誘っている。
息を呑み、障子格子戸をそろりと引く。
店内は薄暗く、藍色の着流しに、きりりとたすきをかけたご主人が、一人、こちらを睨んでいた。
「いらっしゃいませ」
一呼吸あった後、声がかけられた。
三和土、鈎型のカウンター、その奥には六畳ほどの小座敷と卓袱台、薄明かりの中で息づく長火鉢や時代物の箪笥。
時代が染みた物たちが作り出す空気の中で、我々は萎縮しながらカウンターの長椅子の端に腰を掛けた。
まずビールを頼むと、煮豆が出て、やがておからも出される。
我々はビールの大瓶一本を二十分かけてじっくり飲んでいたが、出されたのはこの二品だけで、その間会話もない。
ほかに客もいないが、ご主人は押し黙ったままである。
今後の展開に不安を覚えつつ、燗酒を二本頼んだ。
その時、ご主人が尋ねた。寂声に温和が滲んだ声である。
「お風邪をひかれているのですか」
当時わたしは、気管支炎を患った後遺症で、冬になると咳が出ていた。
風邪ではないのだが、冷たい外気に触れたり、緊張、興奮すると特にひどく出た。
成り行きからして、この日も至極緊張していたわけで、ご主人に気づかわれるほど咳
が出ていたのである。
「いいえ風邪ではないので、大丈夫です」。
「そのお咳で酒を飲んではいけません。御代は結構ですから、お帰り下さい」。
「は、はい」。
ご主人の口調には、有無を言わせぬ力があった。
友人にはすまぬが、二人して帰るしかない。
「またお邪魔させて下さい」。
引き戸を閉めながら、その言葉を搾り出すのが精一杯だった。