<根菜の尊厳2>
真っ白な雪の中に、朱色が一つ、温もりを灯していた。
お椀は、白味噌椀である。
まず心を鎮めて、お汁をいただく。
熱さが体を癒し、白味噌の甘さが緊張を解く。
その陰には、滋味が潜んでいる。
昆布カツオの出汁ではない。丸出汁である。
普通スッポンを炊くときは酒を入れるが、それではうますぎて白味噌が過剰になってしまうので入れてないのだという。
僕は中村氏の、そんな見識が好きである。
次に人参を食べると、人参の硬さに、人参として育ってきた尊厳がある。
柔らかすぎない。硬すぎない。
「柔らかくなりすぎると美味しくない。柔らかくなる3歩手前を狙っています」。
中村さんは静かに言われた。
人間の歯は、思っている以上に敏感である。
噛むという行為は、食物の養分を取り入れる入り口であるから、食材の存在を感じ取るセンサーなのである。
だから柔らかくなくてはいけないが、柔らかすぎると、手応えがない。
人参は人参、大根は大根としての威厳を失わないギリギリの硬さが、我々の琴線に触れるのである。
人参を噛んでいると、梅干しの味が滲み出した。
聞けば、梅干しと炊いているのだという。
雑煮には、梅の形に飾り切った「梅人参」を入れることがあるが、これもまた「梅人参」なのである。
人参を食べ、汁を飲み進むと、底から餅が顔を出した。
「すっぽん餅」、スッポンを鋳込んだ餅である。
餅米の優しい甘み味包まれた、すっぽんの滋養が丸い。
人参、白味噌、梅干、すっぽん、餅に感謝の念が湧き上がる。
食べ終えて、「今年も良き年でありますように」と、囁いた。
西麻布「明寂」にて





