<シリーズ食べる人>居酒屋編

食べ歩き ,

<シリーズ食べる人>居酒屋編
曳船の「岩金酒場」の引き戸を開けると、運よくカウンター席が二つ空いていた。
鍵の字型カウンターの角に座る。
ここは究極のガールズバーである。
カウンターの中では、おばちゃん3人が相手をしてくれて、料理も作る。
「なににしますか?」
おばちゃん姉妹の一人が聞いてきた。
「ハイボール」。
そう、客の9割はハイボールを頼む。
頼めば、シロップと焼酎を割ったグラスとソーダの瓶を、ハイよと渡してくれる。
みんなソーダのビンをずらりと並べて、顔を赤らめている。
これはソーダの注ぎ方にコツがある。
ソーダを慎重かつ上品に注がずに、えいやっとグラスに突っ込むのである。
「ゴボゴボ」と、泡が盛り上がってくるので、こぼれそうになる前に瓶を戻す。
それがコツである。
こうすると適度に炭酸抜けて、うまいんだな。
「冷やしトマトにおでんの大根とこんにゃく、それにレバーをたれ、カシラを塩で」。
「ごめん。カシラ終わっちゃったあ」。
普通の味である。とりたててうまくもまずくもない、日常の味。
それがいい。
冷やしトマトで口を清めたら、オーブントースターで焼く焼きとん食って、おでんでしっぽりといく。
次にハムカツを頼んで、そのお相手にポテトサラダを頼む。
ポテサラは、パフェみたいな器に入って気取っているけど、魚肉ソーセージがゴロゴロで嬉しいね、ちきしょう。
嬉しいから辛子もらって、なすりつけ、ソースもかけてやりました。
ポテサラも喜んで、ハイボールに合うんだなこれが。
店のおばちゃんが聞いてきた。
「あんた国はどこ?」
「東京です」。
「東京のどこ?」
「中野です」。
「えっ? 中野って、新宿の先の? そっからわざわざ来たの。物好きだねえ」。
すると、70近いおっさんが、隣に座った。
「おや イチロクさん、しばらくぶりだねえ」。
「いやあ、ここ混んでっからさあ。あっちいってたんだよ。あっちね。ハイボールに馬刺しちょうだい」。
「はいよ。イチロクさんにハイボールと馬刺し」。
あっちたあ、いったいどこのことだろう。酔
「今日さあ、初めて常磐線に乗ったんだけど、ありゃ早いねえ」
「へえー、どう早い」。
「駅なんか、二つも三つもすっ飛ばしちまう」。
「そりゃ快速ってんじゃないの」。
「快速か特急かしらねえけど、とにかく早かった」。
落語である。
次にその隣に座った推定70歳中頃の男性が、肴を頼む。
「月形ちょうだい」。
「なんだいその月形てえの? うちには置いてないよ」
「知らねえのかい。月形とといえば半平太。はんぺんのことだヨォ」。
「ああ、そうか。あんたそれどこかで聞いてきたばかりだろ」。
「ばれた? 使いたくてねえ。春雨じゃ濡れて行こうってね」
「なんだかわかんないけど、はんぺん焼き? それともおでん?」
「おでんのやつ。二つちょうだい」。
このおっさん、はんぺんを二つも食べるのかい。
愛おしそうに、二つのはんぺんを、少しずつ崩しながら食べいく。
こちとらもつられてはんぺんに白滝と冷奴を追加した。
カウンターの客が、後ろのテーブル席に座っている客に話しかけた。
「じいさん、今日は調子よさそうだなあ。女の子二人相手にしてっからだな。だいじょぶかあ。コーフンしすぎて、おっちんじゃうんじゃねえか」。
テーブル席には、90歳くらいのおじいちゃんが、女性二人相手に焼酎飲んでいる。
ミックスピザを肴にして、熱燗をやっている。
チーズの旨味と酒の旨味が合うのね、きっと。
女の子と言われた2人は、どう見ても母娘で、母は50代後半、娘は30代後半といったところである。
「おじいちゃん、今日は嬉しそうだよ」。店のおばさんも喜んでいる・
しばらくしておばちゃんが、そのじいちゃんに声かけた。
「じいさん、お迎えが来たよ」。
ん? 縁起でもない。
変なことを言いやがると、入り口見れば、親戚だろうか、おばちゃんが車椅子押して店に入ってきた。
車椅子のお出迎えである。
じいさんは、店の人に支えられながら、よろよろと立ち上がり、秒速30センチの足取りで車椅子まで歩いた。
「じいさんお休み。また飲もうなあ」。全員が声かける。
じいさんは背を向けながら片手を上げ、一呼吸してから、しわがれ声で別れを告げた。
「バイビー」