ビルに囲まれた仕舞屋風木造二階屋が、ひっそりと屹立している。
冷たい近代化が進む風景の中で、そこだけは毅然とした人間の尊厳があった。
暖簾を潜り、ガラス戸を開けると、「いらっしゃいませ」と、活気のある声がかかる。
目の前には女将さんが、にこやかに立っていた。
その姿には、物事に執着しない、さっぱりとした粋を感じさせる。
いかにも江戸っ子の、良き気風が滲んでいる。
「お二階へどうぞ」。
昔の建物らしい急な階段を登ると、息子さんがいらして、奥の部屋に案内された。
30半ばだろうか、息子さんもまた所作がさりげなく、落ち着いていながら、気風の良さを感じさせる。
通された二階の奥部屋は、唯一の個室であり、4人も座れば満席となる小部屋である。
数十年前に、内装だけやりかえられて、壁や天井は新しくなった。
だが、エアコンは設置されなかった。
部屋には、時代が染みた木の小机が二つ据えられ、団扇が置かれ、朱のお膳に箸とグラスが配されている。
中央の机に切られた炉では、炭がこうこうと起きていた。
炭火の熱が、頬を刺し、熱く火照らせる。
連れを待っていると、階下から音が聞こえてきた。
「トントントン。トンタットンタッ」。
リズミカルな響きは、つくねを叩く音である。
記憶が蘇る。
このリズムが、久しぶりに訪れる店の滋味を思い出させ、胃袋の底から食べたいと願う本能が湧き上がってきた。
澄んだスープの味わい。
穏やかな鳥の淡味。
レバーの濃密。
つくねの優しさ。
もも肉の凛々しさ。
ご飯の甘み。
懐かしい思い出が帰ってきて、唾がとどめもなく湧き出てきた。