鴨南そばの楽しみ。<江戸の常日>

  • 並木藪

種物食う奴なんざ、粋じゃねえ。そばは千切れるし、繊細な香りが隠れちまう」と、断言するそば通の友人は、断固として種物を食べない。
 でもわたしは、御高説を無視して、せっせっと種物を楽しんでいる。
 確かに温かい種物では、そばは力を失いやすいし、香りも薄れてしまう。
 だがそれがどうした。そりゃあそばは趣味食指向が高い。だが趣味そばと大衆そば、その両方を愛してこそ、「そば通」ってもんじゃないのかい。
 熱で曇らした卵の白身をむら雲、黄身を満月、海苔を夜空や田、青味を野の草に見立て、田毎の月を演出した「月見そば」。

巻き散らした海苔を江戸の花としゃれた「花巻」

島田湯葉を娘の髪、蒲鉾を頬、椎茸や玉子焼で口をあしらい、愛嬌あるお多福の顔を形どった「おかめ」

小柱を霰に見立てた「あられ」。卵の白身を泡立ててかけそばにかけ、春の淡雪を表した「淡雪」
どうです。江戸っ子の粋と余裕、食べ物への敬意が伝わってきやしませんか。種そばは、江戸の香りをすずろに偲ばせるエライ料理なのだ。
このエライ料理の冬の王者が「鴨南蛮」である。江戸末期に八百左衛門という人物が、しっぽく料理からヒントを得て創始したと伝えられるこの料理、二百年経った現代でも、思い立つとたまらずそば屋に駆け込ます力を持つ、種そば界の横綱である。
ただその仕立て方は千差万別。店ごとに、様々な鴨とネギと甘汁の出会いを思案されているようである。

渋谷「おくむら」は、亀節のだしによる甘汁で、短冊切りのネギ、五ミリ弱幅の鴨肉を軽く煮、茹でたそばを入れて山椒を振る。
脂が膜を張る熱々のつゆは一見無骨。ただ味わいは、上質な亀節だしに鴨の脂が溶けた穏やかな味わいである。ふんだんに入って主役を食うネギ、薄切りの肉、脂っこさを緩和する山椒など、すべてに思いやりを忍ばせた優しい「鴨南蛮」である。

「鞍馬」の「鴨なんそば」も穏健派で、上品なつゆに薄切り鴨肉のうまみが、じんわり溶けこんでいる。さらに、添えられたさらしネギとおろし生姜を投入すれば、脂のクセがやわらぎ、繊細なそばをも生かす味わいとなるのである。

一方、穏健派と趣をたがえる剛健派の一角が、老舗「さらしなの里」である。 一センチ厚に切った鴨は、短冊のネギと炒めた後、甘汁に合わせる。野趣ある鯖節だしと鴨の脂が出会った濃厚な味わいで、鴨の脂をまとってクタクタになったネギとともに、存分に鴨を味わせようという魂胆である。
鴨肉は、餌のよさを感じさせるきれいな味わいで、この質のよさがあってこそ甘汁となじむのだ納得する次第。

さらに骨太な仕事が「池之端藪」だ。 なによりもまず鴨肉が、表面にうっすらと血を滲ませて、食べ手を挑発する。 

「鴨は厚すぎても薄すぎてもおいしくありません」。とご主人が語るように、厚さ一・五センチに切られた鴨は、脂身と肉のバランスがよく、歯が食い込むとともに肉汁が口の中を満たしていく。
鴨の脂で炒めて焼き目をつけたネギは、噛み込むと中から甘いオネバがにゅるりと出て、からんだ脂と手を結ぶ。七年前に変えたというネギ(那須美人)は、青みの部分も柔らかく、彩りと甘みを添えている。
手羽元ともも肉で作られたつくねも嬉しくなる味わい。そしてそのつくねを煮た汁を加え、コクとうまみを深めたつゆは、こっくりと濃く、体の芯をじっくりと暖めていく。
ここに鴨南蛮の真骨頂がある。例えば天ぷらそばでは、天ぷらが威張りすぎてそばが負けてしまう。ところが鴨南蛮は、鴨の滋味がそばつゆとなじみながらコクを深め、一緒に高みに登っていこうと協調するのである。

この具とつゆによる団結向上精神こそ、鴨南蛮の魅力ではないだろうか。

そんな精神を極めようと考えたのが、「みや野」である。
「骨と筋肉、脂が三位一体となり、三者の持ち味が正三角形となったときおいしいスープができるんです」と語るご主人は、鴨の骨ともも肉といりこでだしを取って返しを合わせ、焼いた鴨の抱き身とネギを加え、そばがきを汁に浮かべた。 一口すすれば、優しい滋味が舌を包み、食べるごとにうまみは深まっていく。脂分のキレがいい、雑味のない澄んだ汁の中で、草のような香りを発散し、滑らかに、跡形もなく消えるそばがき。
 それは鴨肉もネギもいらない、汁とそばがきだけで充足してしまう、先進派の鴨南蛮だ。
 やはり鴨南蛮の魅力とは、冬に甘味を増すネギと脂がのる鴨との出会いだけではなく、海の滋養と山の滋味が出会って生まれた、種そば最強のつゆなのである。