そのメスは、生命の神秘を抱いていた。
紅に輝く内子は、我々が知ったる味ではない。
舌に乗ると、弱々しく溶けゆき、つたない甘みを灯らせた。
生温かいが、はかない深海の、静かな冷たさを秘めている。
咄嗟に思う。
今まで食べてきた内子は、これに比べれば岩のように固い。
茹でてしばらくすると黒く変色してしまうので、一般的には,しっかりと茹で置くのだという。
だがこれは違った。
食べる寸前に茹でる。
弱火で少し茹で、余熱で火を通す。
食べる時間を逆算して、緩やかに加熱していく。
おそらく蟹は、茹でられたことをまだ知らないのかもしれない。
それは、セイコガニの魅力を活かそうと思った、片折さんの執念である。