オスは,ひっそりと息をしていた。
舌に乗せると,命の甘みが滴り落ちる。
穢れなき澄んだ甘みながら、圧倒的な力を蓄えている。
「蟹しんじょうのお椀」は、通常鯛などの白身魚のすり身と合わせて,形をまとめる。
蟹に対して、20%から200%の比率で、中には山芋なども入れてふわふわに仕上げる。
だが片折さんの繋ぎは、わずか1%である。
つながるか。つながらないか。
ギリギリの量で成り立っている。
おそらく何度も試されて,ここに至ったのだろう。
それゆえに、蟹の脚身がはらりとほぐれて、口の中で舞う。
甘い香りを漂わせながら、ぐんぐんと甘みを膨らませていく。
この日の出汁には,美しい調和があった。
いつもは昆布が強かったり淡かったりする。
それは椀種から滲み出る滋味から逆算した濃さや淡さで、椀種とつゆが出会って完成する。
しかしこの日は、もう塩も薄口を入れずとも完成されたおいしさだった。
そんなつゆが、蟹の身を抱きしめる。
何者にも邪魔されない蟹の純な甘みが、ゆっくりと膨らんでいく。
つゆはそれに同調し、共鳴しながら、うまみを膨らませる。
両者が手を取り合い、クライマックスに向かって登り続ける。
そして最後は、人間のあらゆる感覚にのしかかり、気を昂ぶらせる。
「ふう」。
飲み終えて、充足のため息をつく。
そこには,お椀という料理の、至高があった。