自由ケ丘の「金田」

里いも満月蒸し 

食べ歩き ,

里 い も 満 月 蒸 し 八百円

いい居酒屋は、なぜか東京の東と北に集まっている。
大塚、赤羽、北千住、入谷、上野、神田、森下、人形町などには、近隣に住む人や働く人がうらやましくなる居酒屋が、数多くある。
一方、山の手線の池袋から品川の以南となると、中央線沿線を除けば、いい居酒屋が圧倒的に少ない。新宿や渋谷を含むので、居酒屋の数だけは多いのだが、心落ち着ける、すぐれた居酒屋には、めったに出会えない。
新しい町には、いい居酒屋は育たない、という事例なのかもしれないが、何事にも例外があることを証明しているのが、自由ケ丘の「金田」である。いや、証明するどころか、いまや、東京を代表する名酒亭である。

酒よし、肴よし、環境、雰囲気、接客よし。いい居酒屋の条件をすべて備えた金田は、酒飲みの心を確実に捉えて離さない。
特に肴が素晴らしい。毎日変わる、旬の素材を使った料理の数々は、約八十種。ウニ煮凍り、小鯛利休干し、新蓮海老挟み揚げ、といった他店では見かけない、そそられる品書きから、ぬたや煮付け、刺身類など、選択肢に困る豊富な品書きを眺めているだけでも、十分飲める。
そんな肴の中より、今の時期に是非食べたいのが「里いも満月蒸し」である。

蒸した里芋を裏越しして、卵黄、砂糖、塩を少量加え、味付けした牛挽肉、筍、椎茸を包んで、饅頭のように丸め、再度蒸しあげた料理である。
だしをベースにした熱々の薄餡がかけられ、天に針柚子が飾られた里芋饅頭は、ほんのり灰色がかった、愛らしい姿だ。 箸でつまむとポッテリとした手ごたえを感じるが、口の中に入ると噛むまでもなく、跡形もなく消えてしまう。里芋特有のぬめりと、ほのかな甘みを残して、ふわりと溶けてしまう。
中の具も、かけられた餡も脇役。柔らかく、滑らかな里芋のムースの食感を、存分に、じっくりと味わう料理だ。

お相手には、熱燗や冷酒、ビール、焼酎は合わない。ぬる燗、そう、口当たりの柔らかい「花の井」をぬる燗で、と頼めば、ピタリと決まった温もりが、この肴をいっそう盛り立ててくれるだろう。 里いも満月蒸しを食べながら、ゆっくりと時間が過ぎていくのを楽しんでいると、出来ればこの肴を外に連れ出して、満月を見ながらいっぱい飲りたいものだ、なんて夢想が湧いてくる。