至高の町蕎麦屋

食べ歩き ,

街中華という造語はあるが、街蕎麦という言葉はない。
街中華が高級中華に対する庶民的な中華料理として愛されるように、どの街にもある一般的な蕎麦屋も街蕎麦として、いや「町蕎麦屋」として愛されるべきであろう。
その定義は以下である。
1.もりそばとかけそばの値段が600円以下。
2.経営者は老夫婦が好ましい。
3.自家挽き、手打ちなどうたってない。
4.通し営業。
5.多くの常連客がいる。
6.丼ものが充実。かつ丼、天丼、親子丼、カレー丼は必須。
7.卓上には、箸、楊枝、七味、醤油が置かれる。
8.酒のつまみが充実している。
9.店員の対応にあたたかみがある。
10.料理が出てくるのが早い。
といったいったところだろうか?
その頂点に位置する一軒、至高の町蕎麦屋が「泰明庵」である。
この日も軽く蕎麦をたぐるつもりで入ったのだが、座るなり「ビールください」と、勝手に口が走った。
ここの豊富な品書きを見ては、酒を飲むしかないじゃないかと、自分に言い訳をして飲んだ。
「セリのおひたし」を頼むと、すぐに出され、「お醤油かけてね」とおばちゃんが、醤油差しを皿の横に置く。
「冷奴」は、ネギ、茗荷、生姜と薬味が盛り沢山で嬉しい。
もう止まらない。
八海山を頼み「メゴチ天ぷら盛り合わせ」を頼むと、女将が「天つゆですか?塩ですか?」と聞かれるので、「塩でお願いします」と頼む。
すると「メゴチ〜山なしでぇ」と、注文が通された。
現れたメゴチ天ぷらは、2匹ずつ一緒に揚げられた、昔風つまみ揚げで、なんとも嬉しい。
この辺りで酒を、七本槍に変える。
気になっていた「花にらのおひたし」を頼むと、「今から茹でますがよろしいですか」と聞かれるが、素早く出された。
七本槍のうまさに、こりゃあつまみが足りないやと、「うるめいわし」を追加する。
その間続々と常連客が入ってきた。
大抵はひとりで、入るなり老婦人の女将に挨拶をし、座るなりすばっと注文して、さっと食べて帰っていく。
カッコいい。
1人、70代後半らしき老人がよろよろと入ってきた。
「あら、〜さんこんにちは。元気でしたか?」
女将の言葉に老人は返事せず、黙って包みを渡す。
「あら、お土産! なに? お菓子。ありがとう」
「天ざるひとつ」。
「はい。天ざるね。お蕎麦少なめにする? 少なめね。はぁ〜い、天ざるひと〜つ、少なめ」。
出来上がった天ざるを老人が食べていると、女将が言う。
「海老ちゃんとカリッと揚がっている? そう。それならよかった」。
こういうざっかけない会話が、町蕎麦屋には欠かせない。
人情の行き来がなくてはいけない。
天ざるを食べる老人を見ていたら、無性に蕎麦が食べたくなってきた
悩みに悩んだ挙句、「黄にらそば」にした。
頼むと、「かしわ入れる? 入れない。はいわかりました。黄にらそばひと〜つ」。
丼の上では、華やかな黄色が咲いていた。
つつうっと手繰れば、淡いニラの香りが鼻に抜け、シャキシャキと黄ニラが弾む。
ここは町蕎麦屋なれど、ご主人は毎日魚河岸に行って魚と野菜を仕入れるのだという。
昭和32年創業。初代、当代と受け継がれた誠意は変わらない。
お客さんに喜んでもらおうと、品数を増やし、手を抜かず、出来立てを提供する。
客が絶えないのは、その心根が客の心に染み込んでいるからだと思う。
町蕎麦屋の真っ当な美しさが、この店には息づいている。