自分で自分の首を絞める。

食べ歩き ,

また自分の言動で、自らの首を絞めてしまった。
先日1人で「たまる」に出かけた。
すると客は、私1人だった。
常連だけが座れるカウンターに座ると、
「もういろんな人が亡くなっちゃったからね。座るのは村松友視さんくらいかな」。
店主御子柴さんは、今年84歳になられた。
それゆえに、常連の皆さんも鬼籍に入られたのだろう。
渡辺文雄 木下恵介、石津謙介、三宅一生といった
粋人、食いしん坊が愛し、通ったた店である。
もうどこにもない、江戸料理のイナセな味で酒を飲むために。
ここの料理の凄さを理解してもらいたく、僕は「カレイの昆布締め」を選んだ。
「なにしろ「たまる」の華麗の昆布締めは、年中あって、味が変わらないのだから」。
それを聞いた人は、皆目を丸くした。
中でも料理人は、「それはすごい」と。驚く。
季節が違えば、カレイの質がかわる。脂ののり方も違う。
それがいつも、寸分の狂いもなく、同じ美味なのである。
ところがある日御子柴さんは宣言された。
「もうカレイの昆布締めはやめることに決めた」。
「あれは大変だからね」。奥さんがぽつりと思いを重ねられた。
残念だが、至極残念だが、もう40年も食べてきただけに、十分に恩恵に預かった。
カウンターに座った先日のことである。
「カレイの昆布締めやめたのは、牧元さんのせいだからね」。
「えっ?」
「だって、「たまる」の昆布締めは、年中同じ味だって言ってたでしよ。あれがプレッシャーで、いつか辞めてやる。と思ってだんだけど、河岸に行ってね、いいカレイを見ると、つい買っちゃうん。だから辞められなくてね」。
こうして去年、ついにカレイの昆布締めは、店から消えた。
やめられたのは、辛かったとおっしゃっているが、職人としたの矜恃だろう。
すきやばし次郎の小野二郎さんが「理想の寿司が握れなくなった」と、去年やめられたのとの同じ、現状に満足せずに、常に理想を求める、職人の哲学だろう。
変わりつつある魚に対して、完璧を貫けなくなるという思いなのかもしれない。
実はこの日、40年通って始めていただくものが二つあった。露、
「かみさんと、明日くらいに牧元さん来ないかな。今だったら出せるものあるのに、って話してたんだ。したら電話かかってくるでしょ。びっくりしちゃった。縁てあるもんだねえ。だけどこれ、一人じゃなきゃ出せないからね」。
そうしていただいたものは、人生でも初である。
初めての、幸せであった。
だけどか書かない。
また自分の首を締めるからね。