サービスは、30代中盤の、少しお姉さんが入った男性で、厨房には50代男性がいる。
しかしプロの料理人には見えない。
黒のシャツにエプロン姿といういでたちのせいもあるのだが、顔つきやたたずまいからは、1ミリもプロの気配が出ていない。
どちらかというと、「男子厨房に入る料理教室」で料理に目覚め、 プロ級になったと錯覚してしまった、自由が丘に住んでいる、元出版社の総務部長という感じである。
サラダが来た。
キャベツ、ピーマン、シソ、茗荷が細く切られ 醤油風味のドレッシングであえてある。
同寸、同幅 で包丁の仕事がいい。
しかし千百円は、少しお高い。
よし、刺身も頼んでやれ。
タベアルキストは挑戦者なのであった。
ヒラメ、二千二百円。
するめいか千九百円。
いいお値段である。
「ヒラメとイカを盛り合わせで少しづつ下さい」。
すると総務部長が
「ヒラメは昆布〆になりますが、よろしいですか?」
「お願いします」。
運ばれた刺身は、ケッコウな量。
しまった、当方としては少な目盛り合わせ作戦で、一皿二千円辺りを目論んでいたのに
こりゃあ、四千百円いってしまったぞ。
刺身は上等だが、最上質ではなく、高い感はいなめない。
うん、ヒラメはケッコウ〆たのね。
ふと気が付くと テーブル脇に総務部長が立っていて 「コブ〆どうです」。と、聞いてきた。
日曜日に友人を招いて、この日のために準備してきたコブ〆を披露しました という、屈託のない笑顔で聞いて来た。
自信満々というより、自分としてはうまくできたと思うんだけど どうかなという、思いも込めて聞いて来た。
そんな感じで来られたんじゃ
「おいいしいです」としか言えないじゃないですか
そこで
「ウサギなんですね」 と、イカの上に載った、ツマの話に切り替えた
「ええ、店名に関係しているのと干支にちなんで」と、嬉しそう。
さらに、 「メニューにはないですが、鯛竹輪も入荷していますよ」。
そうですか。
このタイミングで、それを奨めますか。
よりによって竹輪ですか。
だが、総務部長を喜ばせたくなって、
「では、鯛竹輪を少しと、きつねの包み揚げを下さい」と、無難なものを頼む。
「はい、かしこまりました」と、部長にっこり笑って厨房に戻った。
このときもう一人おじさんが店に入ってきて、
「いらっしゃいませ」と声をかけられた。
ああ、もう一人いたんだ。
しかし、この広さで多くないか。
油揚げに葱とカツオを詰めたものと鯛竹輪が登場した。
これでちびちびやっていると、オーナー女性が
「これお店からのサービスです。お持ち帰りください」と小さな紙袋を渡される。
のぞくと、金平糖と皿部分が貝殻でできた匙が入っていた。
うーん。
僕の弱い頭では、このセットの意味を、考えても、考えてもわかりません。
竹輪を半分食べ終えたところで 、また部長が現れた。
「竹輪どうです?」
竹輪どうですと聞かれてもねえ。
そりゃあ普通のちくわより上品な味だけど
竹輪ですよ。
「酒が進みますねえ」とか、「いやあ、このうえない幸せです」とか言えないでしょう。
「いいですね」と、気のない返事しかできないでしょう。
しかし部長、喜んだのか。
「サービスです」 と、豆とドライトマトを持ってきた。
やたらサービスの多い店だ。
このドライトマトの凝縮の仕方がおいしく、 再び現れた部長に
「これ作られたんですか」と聞くと
「いや買ってきたものです」 と、さみしそうに言い放った。
さあ仕上げに入るか。
「羽釜炊きご飯下さい」
「かしこまりました。10分ほどかかりますが」 と、目の前に釜が置かれる
その間の肴は何しよう。
よしこれも無難だぞ。
「五色豆下さい」。
僕の想像では、三種くらいの豆と人参,昆布を炊いたもの。であった。
しかし豆は乾燥豆だった。
数種の豆とクコなどが入っている。
ポリポリポリ。
日本酒のあではないが、ビールにはいいな。
「五色豆どうです?」
今度は女性オーナーが聞いてきた。
乾燥豆の感想を述べなくてはいけませんか。
「乾燥豆に対する形容詞は、特に持ち合わせていません」とは言えないので、口ごもっていると
「私ビジネスで台湾を駆け巡っているんですけど、そこで見つけた豆なんです。体にとってもいいんですよ。そうだ、もっと種類が入った八宝豆も食べてください。サービスします」。
またもやサービス。
目の前では釜が吹いてきた。
「この火が消えたら、二分くらい蒸らして大丈夫です」。
しかし、固形燃料にお任せで、まったく人の手が関与しないご飯炊きは、大丈夫なんだろうか。
「これ早筍炊いてみたんです。どうぞ」 と、またもやサービス。
小皿のお新香を食べていたら
「お新香食べます?」 と、またもやたぶんサービス。
大丈夫なんでしょうか。
「これ自家製ふりかけです。もしよろしかったらご飯にかけてくださいね」。
いやあ。サービスが続くなあ。
さあ炊きあがりました。
おおっ。
一粒一粒が立った、艶やかなお姿で美しい。
懐石風にしゃもじでひとすくいして そのまま食べてみた。
ああ。これは。
米一粒が自立しながら団結し、 優しい甘みと、かぐわしさをふりまきながら 舌の上から消えていく。
これを幸せと呼ばずになんと言おう。
今まで食べてきたご飯の中で、最上級に位置する、幸せを呼ぶ味わいである。
ふりかけなんかかけるのはもったいない。
「塩下さい」
普通の塩と藻塩用意された。
藻塩をかけたご飯。
いけません。
これはいけません。
笑いが止まりません。
味噌汁も香り高く、出汁の塩梅も上品。
やるじゃないですか部長。
終わりよければすべてよし。
否。
ご飯よければ、すべてよし。
「デザートはサービスです」。
またもやサービス。
「この梅干し、台湾の山奥でおばあちゃんが作っているもので、体にいい貴重なものなんです」。
すばらしい。
酸味に奥があり、甘味が自然に熟れている。
「ゴーヤ茶飲みますか。サービスします。これも体にいいんですよ」。
相当体に気を使ってらっしゃる。
だがその後で聞いて来た。
「タバコ吸われます? 禁煙なんですが、すいません。私も吸っちゃってますんで、もしよかったら灰皿持ってきますよ」。
灰皿もサービスだろうが、丁重にお断りした。
健康に配慮しているのかしていないのか
サービスの多い料理店は、最後まで真意を明かさぬ店なのであった。