盛り付けとは

日記 ,

盛り付けとは、飾り付けることではありません」。
77歳になられる、ある割烹のご主人の言葉が蘇った。


霧吹かれた古伊万里の青磁に、皮目を炙ったサワラが折り重なっている。
手前に辛子が一点。
一見さりげない。
だがそれは、切り身の厚さ、重ね方、器選びに心血を注ぎながら、それを一切感じさせない、真のさりげなさである。
四季の自然への深謝が、静かに息づくさりげなさでもある。


さわらを口に運べば、香ばしい皮の香りの後から、淡いうま味が流れでる。
口を数回動かすと、艶めかしい脂の甘みがじっとりと滲み出した。
冬だ。冬の只中だ。そう体が反応する。
あるいは、「蓋を開けた瞬間に飛び込んでくる光景を大切にしています」というお椀は、椀の中にも蓋にも、床の間にも坪庭にも、寒椿が咲き誇っていた。
淡味の中に食い味を忍ばせ、気品の中に実質を隠し、艶やかさの陰で誠実を貫き、実直に四季を表して、満足していただこうと考える。
難波割烹の心意気がここにある。

大阪「本湖月」にて