畳一畳の厨房から奇跡を生み出す

食べ歩き ,

一口で言葉を失った。
それは、圧倒的なたくましさと澄んだ精神が宿った、味わったことのないお椀であった。
初めて「四つ葉」を訪れたのは1994年、青葉の匂いを運ぶ風が心地好い、初夏の夜だった。
店は閑静な住宅街にあって、外の書院窓に飾られた信楽焼茶碗と香炉が品を忍ばせている。
柿色の長暖簾を潜って戸を開けると
「いらっしゃいませ」と、明るく柔和な声に出迎えられた。
優しい笑みを浮かべた女将さんの奥には、料理人が立っている。
大島紬の着流しにきりりとたすきを締め、畳一畳もない厨房で、にこやかな笑顔を浮かべてすくっと立っている。
いい男である。
「いらっしゃいませ。どうぞよろしくお願いします」。
彼は深々と頭を下げた。
まず初めに、口伝のみで伝われてきたという、牛乳で作った嶺岡豆腐が出され、やがてお椀が運ばれた。
江戸時代の作だという水仙が描かれた輪島塗のふたを取ると、ゆらりと芳醇な香りが顔を包んだ。
椀に唇がぴたりと吸いつく。
目を閉じ、透明な液体をゆっくりとすすると、顔がゆるゆると崩れた。
濃密なだしのうまみと葛たたきにしたあいなめの滋味が溶け合い、大きな味の丸みとなって舌に広がっていく。
滋養が細胞の隅々まで染み渡っていく。
そこには、淡々としたうまみが漂う京都のお椀や、ふくよかなうまみが広がる大阪のお椀とも違う強さがある。
濃厚なうまみが、玉となって舌の中央をころがり、「おいしい」と思った刹那、玉は跡形もなく消えてしまう。
濃夢ともいいたい見事なキレをみせるつゆに、心がとらわれ、一口すすっては「はぁー」と息をつき、愛しむように飲み終わると、背筋を正してそっと手を合わせた。
通称「新ちゃん」こと料理人の長谷川新さんは、短い修行期間を経て、二十代前半で四つ葉の厨房を任されたという。
以来昔のまことの味を知る常連客の教えにも助けられながら、独学で料理を道を極め始めた。
だしに至っては、昆布や鰹節の質はもちろんのこと、量と水の割合、水の質と相性、加熱時間など、徹底して理を追い求めた。
仮借なき個性で独自の研鑚を重ね、しなやかな感性を磨くことを忘れずに精進してきた結実が、このお椀なのである。
「加熱していくと、鰹節の香りが出る一瞬があって、その一瞬を逃すと台無しになるのです」という言葉を聞いていて、すぐれた料理とは、際どい頂きを極めた者だけが生み出させるだと確信した。
例えば、もう半秒揚げれば焦げてしまうところまで揚げて、魚のうまみを最大限に引き出した天ぷら。
形を保つ極限ぎりぎりに固めたムース。
素材は加熱され、調理され、うまみへのカーブを緩やかに上昇していくが、ある頂点を境に急降下してしまう。
その頂点にこそすぐれた料理は存在するのではなかろうか。
もちろんその手前で終えても十分においしい。
だがもう一歩踏み込むことによってこそ、素材は昇華するのである。
「小豆は、砂糖を加えていくことによって青臭さが消えるのですが、その青臭さが消えた一瞬を見逃してしまうと、豆の甘みより砂糖の甘みが立ってしまうのです」という丹波の煮小豆にしてもしかり。
それだけに限らず、無垢な甘みが広がる初春の筍、青森のひらめのお造り、舌に乗せた瞬間消える琥珀色のすっぽんゼリー、稚鮎の塩焼き、ふぐやすっぽんの鍋、雑炊などすべてに渡って、頂きを見抜く力量と勇気が貫かれ、強く胸を打つ。
東京はいま和食店が増加し、京料理の店が増えている。
しかし東京には、畳一畳の厨房から奇跡を生み出す長谷川新がいる。
素材の頂きを味わえる幸せがここにあるということを、忘れてはならない