「バリンッ」。
堅焼き煎餅を前にすると、どこからか小気味のいい音が聞こえてくる。
前歯が急に意志を持ち、一刻も早く齧りたい、お願い齧らせてと、叫ぶ声である。
煎餅は、音を抜きにしては語れない。
威勢のいい「バリンッ」や軽快な「サクサク」。
煎餅に虜となるのは、それぞれの音が、おいしい記憶と結びついていているかに他ならない。
音に加えて、香りも味覚も魅了し、色合いや歯応えにも訴える。
五感を総動員し、特に音を意識して食べる菓子は、そうは無い。
しかし煎餅通の中には、この音を重要視しない人もいる。
例えば普通であれば、堅焼き煎餅は、前歯というより犬歯で、勢いよく「バリンッ」と噛み砕き、そのまま口の中でボリボリ、ガリガリやるのが楽しい。
それが、堅焼き煎餅の醍醐味である。
しかし煎餅通は、手で割って、小片を口の中に放り込み、舌で濡らし、もて遊び、柔らかくしてから食べる人が多いらしい。
噛んだ瞬間に弾けるのが嫌で、ソフトに歯が入っていく感触を大切にする人たちである。
ダイナミズムは失われるものの、口の中で転がしていると、醤油の味がにじみ出てくる。
そこをおもむろに噛むのである。
口中滞留時間は、30秒がいい。意外に長く感じ、どうしても噛みたくなって、じれったくなるが、そこを我慢をする。
短気な人や、怒りっぽい人、先に用が迫っている人には無縁である。
忍耐力が養成されるので、会社の新人研修にも向いている。
実際食べてみよう。
5秒で醤油味が滲み出て濃くなり、20秒あたりで我慢できなくなり、堪えて30秒で噛むと、「カリッ」と軽めの音が立つ。
「ふにゃ」と柔らかくなった部分もあり、ふにゃとカリッが混ざり合ったおいしさがある。
または、舌の上で転がさず、ほほの内側に1分間収納しておく方法もある。
食べると「カリリ」と、より微かな音が立って、なにか無性に、煎餅が愛おしくなる。
2分収納では、しなびて、存在感の弱体化が進み、寂しい気分となるので、お奨めはしない。
さらには、別な食べ方もある。袋を破って煎餅を出し、1日置くのである。
そんなことをしたら湿気るではないか。
なんのために袋に入れたのか。
そう怒られそうだが、実際やってみると面白い。
放置プレイにされてもなお、煎餅には力がある。
色が若干濃くなり、噛めば、「カリリ」「ザクザクザク」と軽い音が立ち、最初から醤油の香りと味が舌に迫ってくる。
冬は1日、湿度の高い初夏は、半日置きと変え、季節感を感じてもいいだろう。
これら「口中滞留法」と「放置法」のいずれも捨てがたい。
一方、袋を開けてすぐに齧る方法(即時砕破法)で生きるのが、「ぶく」である。
空気が入って袋状に膨らんだ小山を、煎餅業界では「ぶく」とよぶ。
この薄いぶくを破るのが楽しい。
直接「ぶく」の頂点に歯を当てると粉々になるので、麓の際を一旦噛み、次に山頂から二ミリほど下った山腹を噛むのが、ぶくを活かす。
もっとも、最初から木端微塵、バリバリに噛み砕いてしまうのも楽しいですけどね。
煎餅の話は尽きない。
この話をしていて思い出した。
「銀座松崎煎餅」7代目当主・松崎宗仁氏にお話を聞いた時の事である。
「二度歯を折ったことがあります」。
松崎氏は言われた。
それほどに、日々煎餅の研究を重ねられているのである。
煎餅で二度も歯を折る。
どの世界でもプロは厳しいのであった。