〈知る喜び。知る悲しみ〉

食べ歩き , 日記 ,

〈知る喜び。知る悲しみ〉
軽井沢では何故か、ステーキが無性に食べたくなる。
そこでさとう肉店に走り、信州りんご牛(りんごカスを食べさせた黒毛だという)のランプ肉100g 1360円を、300gと奮発した。
こいつを、キャンティクラシコで迎え撃つつもりである。
オリーブ油と牛脂で揚げ焼き風に焼き、2度休ませては焼いて、我ながら肉がふっくらと膨らむ、いい感じに焼き上げられた。
最後にキャンティでフランベし、岩塩と粒マスタードを添え、黒胡椒を挽いた。
理想通り、ほぼ完璧である。
ガシッと肉にかじりつく。
噛む。噛む。
肉汁溢れ出す。
しかし、僕は知ってしまっている。
某滋賀県の精肉店が扱う肉の味を知ってしまっている。
それと比べてはいけないことも知っている。
だが無意識に比べてしまう。
おいしさで、新たなおいしさで感動を得ることは、人生の喜びである。
そんな「知る喜び」を重ねれば、重ねるほど、つらいことが起こる。
「知る悲しみ」である。
正確に言えば「知ってしまったことによる悲しみ」が増えていく。
昨夜ステーキを食べながら、なんとか自分を納得させようと、苦心している自分がいた。