焼き鳥の善し悪しは、さび焼きやレバではなく、皮や腿に出ると思う。
よく見かけるのは、串をひっくり返しすぎて、肉がポテンシャルを出す前に蒸されたように焼けてしまい、ぼやけた味になった焼き鳥である。
的確に、勇気を持って火を入れ、鶏内部の肉汁を充分に過熱して、その滋味を引き出す。
余分な脂を出し、口の中での脂切れをよくする。
その見極めは、感性によるものが強く、理想の形を明確に思い描きながら焼き続けた職人への褒美として降りてくる。
「あやむ屋」の焼き鳥もそうである。
よく皮はカリッと焼けているだけで満足する人がいるが、この店の皮はもう一歩踏み込んでいる。
カリッと焼けた皮は、脂っぽさを感じさせないのだが、甘い脂の香ばしさが充分で、もうそれだけで笑顔になる。
そして逆側の肉はふわりと優しく火が通されて肉汁に富む。
腿もまた素晴らしい。
むちっと歯が食い込む肉は、しっかりと焼かれた肉ならではの躍動があって、「噛め」と凛々しく語りかける。
肉を食らう喜びに、焼き鳥をほおばる喜びに、ただただ浸りきる。
酒を飲み、笑い、しゃべり、愉快な夜を過ごす。
そして最後の鹿と猪で、さらにコーフンは高まり、酒が進み、余計に笑い、忘れ得ぬ時を刻む。