「この土地の産物は、澄んだ味わいがする気がします」。
2018年、開店された年に伺って食事をいただいた時、片折さんにそう伝えた。
「そうかもしれません」。
片折さんは、目を開きながら、考え深げに答えられたのを覚えている。
あれから7年目を迎え、食材にいやがうえにも磨きをかけられて、その真味に呼応されている気がしてならない。
ノドグロの塩焼きは、塩加減が淡いゆえに皮の香ばしさと皮下の甘みが引き立ち、身も離水してだれることなく締まって、歯を喜ばせる。
脂のいやらしさは微塵もなく、色気があり、命の躍動が心を溶かす。
「沢煮椀」は、2年前の6月にもいただいたが、さらに味わいのキレが増していた。
ネギ、能登椎茸 能登豚 三つ葉、ネギなどだったが、今回は厄払いの意味をこめて、青梅煮が入れられていた。
前回は、良き意味での田舎っぽさを残した、うまみの強い出汁だったが、今回はさらりとしている。
同細切りに切った野菜類の中でアサツキだけがやや太く、その青さがアクセントとして生きている。
さらに酸っぱさを消しながら、消しすぎない青梅の絶妙な煮え加減から滲み出るほんのりとした酸味が、品を与え、うだる夏を迎えようとする体の背筋を伸ばしてくれる。
全体にいつもより塩は淡かった。
それゆえに、精神も澄んで、夏越しの祓いができたように思う。
これらをよく書かれるような、進化という言葉で表現したくはない。
進化ではなく、深化であり、食材の真価を抽き出すよう、片折さんが懸命に考案した結実なのだろう。
金沢「片折」にて