浅草「並木藪」

江戸っ子好み2

食べ歩き ,

柳川とご飯を頼むべきか。

柳川丼をかき込むべきか。

吾妻橋「どぜう ひら井」で散々悩んだあげく、ここは切り上げて,蕎麦屋に足を伸ばすことにした。

近くの「吾妻端藪」は休みゆえ、選択は一つしかない。

「並木薮」である。

大正2年、かんだやぶそばの初代・堀田七兵衛の三男・堀田勝三が創業した。

藪系列は、「砂場」、「更級」と並ぶ,江戸三大蕎麦屋系列の一つで、元々は江戸時代に創業した、豊島区雑司ヶ谷、鬼子母神にあった愛称「藪蕎麦」が発祥とする。

数ある藪の中でも,ここが一番という人が多い。

店内や料理に貫かれた、余分なものを削ぎ落とした哲学に、豊かさを感じさせられるからだろう。

藍色に白字を抜いた、生成りの暖簾をくぐり、戸を開ける。

玉石を配した三和土の左は、入れ込み式の座敷、右はテーブル席である。

割烹着に白頭巾姿の,年配女性仲居さんたちの、てきぱきとした、心配りのある接客が、いつ来ても心地よい。

20数席のうち半分は,外国人客だった。

しかしいつ来ても江戸の気風を感じるのは,接客によるものかもしれない。

 

メニューも見ず、座るなり、「焼き海苔と板わさに、燗酒をください」と、頼む。

木袴に納められた白徳利と猪口、蕎麦味噌が運ばれる。

酒は菊正の樽酒、老舗は豊島屋酒店の活躍で、ほとんどが下り酒である菊正が置かれている。

こちらの「板わさ」は、質もさることながら、厚さがいい。

以上でも以下でもなく,噛んだ時に,歯がムチっと包まれ、蒲鉾の淡い甘みが滲み出る厚さなのであった。

一見素っ気ないが、心がこもった、適切な厚さなのである。

板わさは、「こんちきしょう、来やがった」と思うほど、わさびをたっぷりつけて、醤油をちょん。

酒ぐびり。

ああ、幸せだなあ。

 

さて焼き海苔はどう食べよう。

普通の方なら、上から食べると思うが,僕は温められて香りが高まった、一番下の海苔を引き出す。

海苔の表にわさびを乗せ、箸の先で醤油をつけ、その表面に数滴垂らす。

しかる後半分に折って、裏面を表にして食べる。

散々試した結果、この方法にたどり着いた。

 

そばはます「ざるそば」からいく。

辛汁を蕎麦猪口に少し入れ、持ち上げた蕎麦の、下四分の1ほどを漬けて、ずすーっとたぐる。

ずすぅっー。ずすぅっー。

向こう三軒両隣に聞こえるくらい、威勢よくたぐる。

蕎麦の青い香りが喉にぶつかって鼻に抜け、「並木薮」特有の濃いつゆが舌を濡らす。

わさびもネギもつゆに入れない。

蕎麦湯を入れた時に、薬味として使う。

男なら、6〜8回たぐればなくなるだろう。

僕は6回を目指している。

 

次に種物である。

この日は「花巻」にした。

海苔かけ蕎麦である。

海苔は磯の花であることから名付けられた蕎麦であるが、こうした江戸の言葉遊びか身に染みる。

食べ物を楽しもう,ことさら愛そうとした人々の情愛が染みる。

「花巻蕎麦」は、蓋付きで運ばれる。

温かい種蕎麦で蓋付きなのは,この蕎麦だけであろう。

丼を手前に寄せ、蓋をゆっくりと開ける。

解き放たれた磯の香りが,顔を包む。

頭の中に、波しぶきが舞う。

「花巻」には,たっぷりとおろしわさびが添えられる。

海苔とわさびが仲むつまじいのは、ご存知の通り。

だが,わさびを乗せて、溶くことはしない。

わさびの香りがつゆの香りに負けて、効かなくなってしまうからである。

少しずつ乗せては、そこだけをたぐる。

あるいは丼の淵に落として、つゆをすすってから、蕎麦をたぐるのもいい。

わさびの吸い口である。

蕎麦を食べ終わると、

溶けた海苔がつゆを覆って,真っ黒となっている。

ぼくは、こいつを肴にして、また燗酒を決めるのである。