桜の季節が来ると思い出す人がいる。<隠れ家紀行>

隠れ家 ,

の季節が近づくと、思い出す店がある。

最後に訪れたのは、頬に当たる風が冷たくなった晩秋だったろうか。

連れは、飲み会で知り合った、年下の小柄な女性であった。

「なにが好きなの?」という問いに、「お吸い物」。と一言、真っ直ぐな目で答えられたのがきっかけだった。

こんな女性は初めてである。

よし、とびきりのお椀を食べさせてあげたいと、名だたる割烹を幾つか思い浮かべた。

しかしそういう店では、まだ若い彼女は緊張し、ろくに味わえないかもしれない。

選択の幅は狭まった。

その時、ふとその店を思い出した。

隣人の家に招かれたような暖かい雰囲気があるのがいい。

偉そうな客と出会わぬ室内もいい。

そしてなにより、ご主人の人柄がしなやかで、柔らかいのがいい。

そうだこの店にしよう。

阿佐ヶ谷の駅で待ち合わせ、北口の商店街を歩き、病院の角を曲がった辺りで、彼女は少し不安になったようで、口元が強ばっている。

それもそうだ、周囲は店も途切れ、静かに寝静まっている。

しかもさらに細い路地に入り込もうとしている。

普通では、こんな住宅街に店は開かない。

やがて一軒の家の前で僕は立ち止まった。

「ここだよ」。というと、彼女は目を丸くした。

隣家よりやや立派なものの、普通の民家である。

料理屋らしき看板もなく、「竹叢」と記された表札があるだけであった。

戸惑う彼女を尻目に、さっさとドアを開けて玄関に入ると、「こんばんは」と、中に声をかけた。

「やあ、いらっしゃい。お待ちしておりました」。

優しい目をした店主、竹村千代さんが現れた。

この店は彼女が一人で切り盛りしているのである。

彼女も竹村さんに出会って、安心したような笑顔を浮かべた。

不安から安堵。この気持ちの揺れがあるから、隠れ家はやめられない。

一階の庭を望むカーペット敷きの和室に通された。

どうやら今晩の客は、我々二人だけらしい。

料理が流れ出した。

イカと筍の木の芽和え、芝海老の旨煮、慈姑揚げ、鶏ささみとザーサイ、葱の和え物といった前菜に続いて、お椀が運ばれた。

真塗り椀の蓋を取る。

鯛の椀だった。

分厚い鯛の切り身とエリンギ、餅米団子が椀種である。

全神経を集めてつゆをいただく。

塩が舌に当たらないぎりぎりの淡味に、鯛の旨味が柔らかく調和している。

「ふうっ」。

彼女が目を閉じて、吐息を一つ。

そうっとまぶたを開けると、僕を見て、蕾がほころぶように、微笑んだ。

なにもいわない。語らない。

だがその笑顔だけで分かり合えた。

なんとも優しく、人を癒す笑顔には、お椀と出会った幸せ、命を押し頂く感謝に満ちていた。

おいしいものが分かるだけではない。

おそらく家族を大切にし、他人の気持ちに敬意を払いながら生きてきたのだろう。

それでなければ、あの笑顔は出来まい。

お椀のおいしさを味わうのは、舌ではなく、その人自身の徳性なのだから。

お椀を飲み終え、余韻に浸りながら、家族の話を聞いた。

彼女は少しのためらいもなく、父や母や兄弟の愛に富む話を聞かせてくれた。

こういう気持ちの真っ直ぐな人と共にいただく食事は、清清しい。

その後のカワハギの造り、野菜炊き合わせ、甘鯛の焼き物、ヒゲダラと蓮根饅頭、かぶら蒸し、鰯ぬた、鯛ご飯と続く、素晴らしき料理も、素直においしさが分かち合えた。

料理がより光り輝いて、心が弾んだ。

「ほら庭に桜の大木があるだろ。樹齢三十年なんだって。季節が来るとテラスが桜の絨毯で敷き詰められるんだ」。

「わぁ。来たい。来たい。ぜひ連れてきてください」。

彼女は少女のような笑顔を浮かべて懇願した。

よし、と僕らは硬い契りを交わして店を出た。

だが約束を果たすことは出来なかった。

数ヵ月後に、故郷に帰ることに決めたという電話があったのだ。

桜の季節が近づくと、あの笑顔が蘇る。

思い出す人ができた。

 

 

閉店