名古屋「吉い」

松茸に埋まる。

食べ歩き ,

あなたは、松茸に埋まったことがあるか?
吉井さんは、蒸し器から大きな壺を取り出した。
壺の蓋の縁には、厳重に紙が張り巡らされている。
その目張りを剥がし、蓋を取ると、たまらない芳香が漂った。
壺の中から取り出したのは、松茸である。
十本は取り出しただろうか。
その松茸は捨てられ、汁だけを盃に注ぐ。
「松茸の汁です」。
盃から、香りが立ち上がって、顔を包む。
その時、松林にいた。
松茸が群生する、松林に連れて行かれた。
触れてはいけない、霊妙な空気が、頬をさする。
目の前には、蘇芳香色に染まった、40ccほどの液体が揺らめいている。
恐る恐る、一口飲んだ。
うう。
声にならない呻き声が一つ、まろび出た。
その瞬間、松茸の中に埋まっていた。
松茸の軸に、自分の体が沈んでいった。
同化する。
松茸と心が、一つになり、同化した。
ほのかな甘みが、舌の上を這っていく。
妖気漂う香りが、鼻腔の襞という襞を舐め回す。
ああ。
まだ言葉は出ない。
それは、松茸の神秘に触れた夜だった。

名古屋「吉い」にて。