「鍋」という言葉が浮かぶと、もういてもたってもいられなくなる時期がやって来た。
さあ何を食べようか。
豚しゃぶにふぐちり。すき焼きに寄せ鍋。水炊きに魚すき。鴨鍋にじゃっぱ汁。
頭の中に様々に鍋が浮かんで、手招きする。
思いは千々に乱れて、悩みに悩む。
この時期には、最低でも1週間に一回は鍋を囲まないと、気が済まない。
なぜなら私は何を隠そう(隠す必要もないが)、鍋奉行協会の会長である。
一流の鍋奉行を目指す人たちに、歴史や作法などを講義し、鍋奉行初級検定も催した自称「鍋プロ」であるから、本来であれば毎日鍋といきたいところである。
世に優れた鍋は多くある。
その中より今回ご紹介するのは、関西を代表する鍋と、東京を代表する鍋の創作鍋である。
まずは関西を代表する鍋の、「うどんすき」に登場願おう。
店は、昭和3年に「うどんすき」を考案した「美々卯」である。
鍋に薄茶色のつゆが注がれる。
温まってくれば、まあるいだしの香りが漂ってきて、胃袋をくすぐる。
昆布とメジカ(宗田節)でとっただしは、澄んだうま味があり、滋味深い。
そこへ、うどん、若鶏モモ肉、湯葉、人参、ほうれん草の白菜巻き、ひろうす、インゲン、もみじ麩、椎茸、大根、蛤が次々と投入されていく。
うどんを先に入れるのか。柔らかくなりすぎないのかと、心配になるが、その疑問は後ほど解明される。
蛤の蓋が開いた。
さあ食べよう。出汁をまとった蛤から、熱々のエキスがにじみ出て、猛然と「うどんすき」への食欲が湧き上がる。
野菜類はすでに茹でられているので、いつでも臨戦態勢、少し出汁が染み込んだら順次食べる。
鶏モモ肉を頬張っていると、活きエビが投入される。
なにしろまだ活きてらっしゃるエビである。
熱い鍋つゆで跳ねないように箸で抑えながら火が通され、鮮やかな赤色に変わったら食べ頃である。
これまたいい。
エビの品のいい甘みが気持ちを柔らかくし、さらにこの鍋への愛着を深くする。
その後鱧をしゃぶしゃぶにし、店で締めて焼いたというアナゴの香ばしさをたのしんだ頃合で、そろそろうどんの出番である。もう20分はたっただろうか。
うどんは鍋底で、白き体を淡茶色に染めている。
くったりとなったうどんは、箸でつかみにくいが、そこはよくこの鍋は考えてられて、鍋ふちが滑らかに広がっているので、そこにうどんを沿わせるようにして小鉢に滑りこませればよい。
すだちをかけてすすれば、おおっ、うどんはコシを失っていないではないか。
最初より柔らかくなっているものの、うどんとしての矜持を保っている。
そしてなにより、具材の味がにじみ出て、複雑に深くなった鍋つゆの味を溜め込んで、しみじみとうまい。
ツルツル、シコッとしていたうどんは、次第に柔くなり、死後の鍋底に残ったやつなどねっちりとしている。
小麦粉の甘みとすべての旨みを抱き込んで、舌に甘えてくる様がいじらしい。
そう。うどんすきとは、うどんを育てる鍋なのである。
すべての具がうどんを美味しくするために頑張る。華やかなエビや鱧、素朴な野菜類や椎茸、凛々しい鶏肉といった役者陣が、起伏に富んだストーリーを作りながら、うどんを育んでいくドラマなのだ。
そんなドラマの最後は、餅で締めたい。
餅を入れ残った具を少し入れて一緒に食べてみる。途端にお雑煮感が漂う仕立てとなるが、これはまた一興である。
閉店2020年