「オーイ」。「オーイ」。「オーイ来た」。
暖簾を潜り、ガラス戸を引いて店に入ると、店主親子の威勢が、響いてくる。
ここは北千住。「千住で二番」のキャッチフレーズで知られる名酒亭、創業明治十年の「大はし」だ。
明治以来の建物は改築されてきれいになったが、老舗居酒屋としての風情は失われていない。
コの字型で奥に伸びたカウンター。
壁にずらりと並んだ「亀甲宮」焼酎の瓶。
煮込みの大鍋。
お尻に馴染む丸椅子。
開店以来、変わらぬ光景は、古き良き時代を忍ばせる。
そこへこの親子の掛け声がリズムを作る。四代目の親父さんは、御年八十五歳。
煮込みを頼めば、「オーイ来た、煮込みひとつ」と、快活に声を響かせる。
料理を運ぶ時、煮込みを皿に盛る前、勘定を計算する時など、独特の軽やかなステップも健在だ。
誰でも、あの「大はしダンス」に触れりゃあ、愉快になる。
東京に住む。東京で働く。
その恩恵は、都内各地に点在するこうした老舗居酒屋で、飲めることにある。
いずれも都心から外れたところにあるが、なあに電車に乗っても2,30分だ。
メンドーだと思うなら、食への好奇心は捨てた方がいい。
わずか3千円以内で東京在住者の特権が、得られるのであるから。
「大はし」の名物は、「煮込み」320円。
天井に下げられた短冊には、「名物にうまいものあり北千住/牛のにこみでわたる大橋/千住名代牛にこみ肉とうふ」の名文句が書かれている。
肉は、牛カシラ肉とすじ肉のみ。滋味を含んだカシラ肉は柔らかく、一方すじ肉は、歯の間でプリリと弾んで、コラーゲンの甘みを滲ませる。
そして長年注ぎ足しつつ煮込まれてきた煮汁は、醤油とざらめによる味付けで、こっくりと甘辛く、丸い味わい。
そこに牛肉のうまみが溶け込んでいるのだからたまらない。
焼酎でもぬる燗でもお相手すれば、「すいません、おかわり」と、つい皿を出してしまう。
煮込みは、肉だけの「肉煮込み」と、煮込み鍋で煮込まれて味の染みた豆腐と盛り合わせた「肉とうふ」の二種類。いずれも320円也。
また、「豆腐だけ」というのもあり、こいつもこれから寒くなる季節にはたまらないなあ。
その他赤貝や、マグロ、〆サバといった刺身類も豊富。「あら煮」や「やりいか煮」や「カニみそ」、「白子ポン酢」といった酒飲み心がくすぐられる肴もいい。
また「とんかつ」、「串カツ」、「オムレツ」、「カニコロッケ」といった品書きがあり、これで酒を飲んでいる人が多いのも、下町居酒屋風。
もちろん連夜満席。
しかし客あしらいがスムーズで、料理も早く、快適だ。
だからといって、5人以上といった大勢では行かないのも、独酌客多い常連客への礼儀。
同僚、部下。あるいは彼女といっても、フレンチとは違う非日常感が味わえていい。
しかしできれば、一人でも行ってほしい。一人でじっくりと飲み、都会の汗が抜け、現代社会の速度が緩み、ゆったりと自分の時間が戻ってくる感覚を味わってほしい。
北千住「大はし」
http://tabelog.com/tokyo/A1324/A132402/13003767/
戦後の下町の風情を伝える。東京三大煮込みの一つとされる煮込みは健在。魚料理が安い。
月島「岸田屋」
http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131302/13002239/
創業昭和三年。飲むほどに、古きよき時代の幸せが体に沈殿していく名酒亭。
十条「斎藤酒蔵」
http://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13003785/