日本料理の正義。

シメご飯 , 食べ歩き ,

カウンター席に座ると、玉子焼き器が置いてあるのが見えた。

「親父さん、今日は四角いのがありますねえ。楽しみです」。

「もう歳やからめんどくさいんやけど、暑いから精をつけてもらおうおもて、う巻き出しますわ」

78歳になるご主人は、そうとぼけられた。

この店でだし巻きに出会うことは少ない。

年に数回行く常連でも、年一回しか出会わないことがある。

今日は幸運だった。

最後に、親父さん自らが立って、う巻きを作り始める。

慣れた手つきで、いとも簡単そうに作っていく。

出来上がると、手に持った簀子で受け止め、まな板において切り、盛られる。

塗りのお椀が二つとお新香が出され、「う巻き定食」が完成した。

まず炊きたての白いご飯を食べ、目を細める。

そしてう巻きである。

玉子の甘みと出汁の境界線がない。

どちらが出過ぎることなく、丸く抱き合っている。

そこへ蒲焼のうまみが加わる。

「ああ」。

一口食べて、体の力が抜けた。

幸せが満ちる中、急いでご飯を掻きこむ。

味噌汁は茄子である。

炊いた茄子だけが一つ浮かんでいる。

噛めばすうっと歯が包まれて、茄子の淡い甘みが滲み出る

このシンプルさ、出過ぎない味こそが、日本料理の正義である。

お新香もいい。

白菜と茗荷、大葉が、それぞれの香りや歯触りを残しつつ、何気なく馴染んでいる。

「マッキーさん、ご飯おかわりは?」 ご主人が尋ねる。

「お願いします」。

「ほな、お新香もな」。

なぜ、こういう店が少ないのだろう。

 

大阪「もめん」にて。