西麻布「翠園」閉店

店の前に立ち、空を見上げた

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店の前に立ち、空を見上げた。
暗然たる気持に、目の前の景色が薄らいでいく。
その店は、町の小さな中華料理店だった。
入り口にはショーウィンドがあり、餃子や麺料理などのサンプルが、煤けて客を待ちわびている。
普段なら気にも留めない店であろう。
しかし昔、松山猛氏が雑誌に書いてことがあって、その店に出かけたのだった。
赤く丸いテーブルの上には、プラスチックのメニューが立ててあって、麺のメニューと裏には定食のメニューがある。
定食は、ランチメニューとあるが、実は夜も頼める。
驚いたのは、青椒肉絲だった。
肉と筍、ピーマンが同寸に切られていて、口の中でその三者がハーモニーを奏でる。
ピーマンは青々しく香り、筍は痛快な食感で弾み、肉のうま味が追いかける。
都内の大飯店も凌駕する、正宗青椒肉絲である。
それが、丁寧に取られたスープと醤蘿蔔にザーサイ、食後の杏仁豆腐がついて850円で食べることができた。
セロリ牛レバーもレバーの火の通しが精妙で、レバーとセロリの香りのせめぎ合いが楽しいこと。(僕はこれを焼きそばにかけてもらう裏メニューがすきだったなあ)
「滑蛋牛肉 牛肉と卵の炒め」もふわふわに炒められた卵の中から、牛肉の滋味が迫る逸品だった。
そして餃子春巻類も忘れてはいけない。
焼き餃子も水餃子も、自家製の皮のもっちりとした歯ごたえとよく練られた肉あんの出会いが素晴らしく、ビールとやっていれば永遠に食べ続けられた。
店を仕切るのは、上品な70位のおばさんが二人。この二人がキモなのは間違いない。
ベテランのコッックがいなくなって、30代のコックに変わっても、味は一切ぶれなかった。
夜一人で行って、蒸し鶏と酒を頼み、餃子と青菜の炒めを頼み、最後に湯麺か炒麺でしめる。
どれも、板の仕事と加熱がまっとうな、誠実な味わいで、充足を呼んでくれる。
西麻布の交差点を通るたびに、東京にこの店がある幸せを噛み締めながらつぶやく。
「今日は別の店に行かなくてはならないけど、また必ず来るね」と。
しかしそれも叶わぬ夢となった。
さよなら「翠園」。さようなら二人のおばさん。
ありがとう。
ぼくはあなたたちの味を、永遠に忘れません。

2015閉店