一度解体したものを、ベストな状態にして、再び集約させる。
鴨料理は、そんなフランス料理のような哲学で、供された。
京都の七谷鴨に詰め物をし、味噌を塗って、特製の釜で焼く。
焼き上がったら、しばらく休ませる。
しかるのち縫い合わせたお尻を開き、中の詰め物、味噌ダレ、滴る肉汁を集める。
まな板の上で捌いても出来るが、せっかくパリッと仕上がった皮に肉汁や脂ついてしまう。
そのため考え出し、特別に作ったもらったのだという。
背中の皮は北京ダックっふに削ぎ、胸と腹、脚はそれぞれ切り分けていく。
ガラは、先ほどのお尻から出た詰め物やエキスともに煮詰めて、ソースとする。
皿に盛られた鴨胸肉の断面が美しい。
うっすらと肉汁が滲みながら桃色に輝く姿は、食べないでしばし眺めていたいほどの美しさがある。
その胸肉はしっとりとして、優しい肉汁に溢れ、皮下の脂の味が濃い。
背の皮は、パリパリと香ばしく弾けながら、皮下のコラーゲンと脂から濃密な味わいが流れ出て、目を細くさせる。
ささみは品がある滋味を流し、もも肉は猛々しい味わいを宿して、その対比に生命感を感じる。
こうして鴨のすべて堪能した。
だがまだすべてではなかった。
先ほどのソースは、火にかけられており、煮詰めて麺となって登場するのである。
煮詰めたソースで和えた、麺料理である。
麺をすすれば、複雑でいて丸いうま味が舌の上に広がり、思わずううむと唸る。
毛湯のような、入ってはいないのに牡蠣油のような、入り組んだ圧倒的な味わいが、麺の一本一本に絡んでいる。
少量なのに、つるると食べただけで、体の中に活力が湧いてくるような躍動の味がある。
少量なのに、食べ進むうちに、唇と唇がピタリと張り付く、濃厚なコラーゲンが潜んでいる。
ここで我々は、初めて鴨すべてをいただき、じわりと感謝の気持ちを心に灯すののだった。
「広東式焼鴨」と「鴨上汁抻麺」。