幸せを分かち合うということ

食べ歩き ,

おいしいとは、なんだろう?
その意味をあらためて考えさせられた、時間だった。
“おいしさ”とはもちろん、料理や食べ物のおいしさにあるけど、そのまえにもっと大切なことがあるように思う。
料理や食べ物のおいしさ以上に大切なのは、“おいしさを分かち合う”ということではないだろうか。
できればその分かち合う相手は、愛し合う人であればなおさら深まる。
これは人間だけの感情である。
チンパンジーの実験でも、苦味がある食べ物を食べられなかったチンパンジーは、苦手としない仲間が食べているのを見ているうちに、食べるようになったという。
この共感能力を人間は発達させて来た。
アフリカから全世界に旅立ち、広がっていくうちに前頭葉が大きく発達し、様々な食べ物を試していくうちに、共感能力の中枢が発達していったのだという。
そうして、他人が感じる喜怒哀楽を感じ取る優れた共感能力を得た。
脳の情報司令部は、自分だけが得た記憶に頼っていた食べもの以外に、仲間が美味しそうに食べていると、共感中枢が反応して、おいしいものと記憶する。
仲間と分かち合えるこそ、おいしい。
これが人間の基本である
美味しさを共有し、拡散していくのが人類であり、何を誰と食べてどういう気分になったかがもっとも大切なのである。
コロナの影響で、各レストランがテイクアウトを始めたので、早速“リストランテホンダ”で数種類購入した。
前菜は、ふわりと卵が崩れると、そら豆とグリンピースの穏やかな甘みが口の中に広がるフリッタータ(イタリア風オムレツ)。
そして温前菜は、トリッパの煮込みで、その丸く優しい煮込みソースの味とともにハチノスを噛んだとき、「う〜ん」と唸って目を閉じた。
目を開けると娘たちが目を輝かせながら「おいしいっ」と口ずさんでいる。
その瞬間に、言葉につくせない嬉しさが心に広がった。
家で美味しい料理を作るのもいい。
今はあまりできないけど、外食するのもいい。
でも家で非日常を迎えるこの瞬間が、かけがえがない共感の喜びを生むことを知った。
家族だけの団欒で、プロの作った料理の凄みに、喜び、唸り、笑いながら、おいしさを分かち合う。
タベアルキストとして、長く活動して来たが、こんな喜びを感じたことはなかった。
ただ単に、レストランの料理が家で食べられるということではない。
その先の幸せが待っている。
メインは、尾崎牛のハンバーグとポレンタを食べ、そして血糖値を上げぬために締めパスタとしたのは、イカスミのパスタである。
どれもおそらく、普段リストランテホンダでは出していない料理だろう。
だが、理を計ることのできるプロが作る料理の精緻さは全く違うことに愕然とした。
4人でワインを二本飲み、ほろ酔いのドルチェは、ババとイチゴのパンナコッタである。
それを皆で分け合いながら、「わたしはパパ」、「いや私はパンナコッタだな」と言い合う。
そんなたわいもない会話が、たまらなく楽しい。