神楽坂「ルマンジュトゥー 」

品性。

食べ歩き ,

近年食べたフランス料理の中で,間違いなく一番だった。
そう思うほど,谷さんの料理は衝撃だった。
「余計な苦労がない。だから楽しくてしょうがない」。
若い料理人を雇わず、厨房を1人でやられることになったことを、谷さんはそう言って,心底嬉しそうだった。
基本一晩一組にし,値段も少し上げたことによって、フランス料理に造詣が深いお客さんが来るようになったことも、あるのかもしれない。
前菜の夏蕪のブランマンジェ仕立て、香草ソースは,蕪の滋味ぎりぎりに味を整えてあって、うますぎるものに慣れた我々の舌を浄化する。
マッシュルームやワイルドライスと煮込まれたトリッパは、トマトなどの旨みを補正するものはない。
シェリーヴィネガーの酸味とコク、甘みが、トリッパに艶を与え、トルコの混合調味料オットマンがエキゾチックに香って、夜の帷を下す。
そしてオマールである。
おそらく、こんなに優美で命を感じさせるオマール料理には、出会ったことはない。
胴体と爪で加熱方法を変えたオマールは、海底を動き回っていた時の躍動があり、甘いしずくが舌に落ちる。
ソースは、オマールのジュとオマールバターを合わせたものだが,決してオマールの淡く品のある味を邪魔しない。
アメリケーヌのような乱暴さはなく,静かにオマールに従うのである。
それはシェフの品性である。
今はこうした品性がある料理が、少ないように思う。
おいしくしよう。よりおいしくしよう。
料理はそうして発展していった。
しかし現代において、過剰なおいしさは必要なのだろうか。
水の国が産んだ食材に、うますぎる味は必要なのだろうか。
食べて素直にそう思った。
それは、古典に根差しながらも、モダンで独創的であり,エロく知的でもあり、たくましさとエレガントが共存しながら、舌が洗われる料理だった。
「新しい料理を考えることが楽しくてしょうがない」
72歳になられたシェフは、そう言って、他意のない笑顔を浮かべられるのだった。
その他の素晴らしい料理のことは,また後日。
神楽坂「ルマンジュトゥー 」にて。