今夜は、夏を消して

食べ歩き ,

「今夜は、夏を消して体を健やかにしてあげるからね」。ヘチマ、ゴーヤ、胡瓜、チシャトウ、ツルムラサキ、冬瓜などからなる12皿の前菜が、一噛みごとに囁いてくる。
淡い精妙な味わいの中かから、いたわりの滋味がにじみ出る。
ヘチマのニンニクソース炒めは、手練の加熱で黒ずむことなく、翡翠のように美しい。
食べれば皮はサクッと固く、中はズッキーニのような食感で、とろっと甘い。
そしてスープが出された。
「寒瓜保元湯」。宗時代の宮廷で作られていたという、龍と鶴ハートが刻まれたスイカにアヒルと三種の人参(朝鮮人参、天然の朝鮮人参、人参)とアガリスクを入れたスープである。
飲めば、どこまでも穏やかで柔らかい。いや上湯とアヒルが織りなす深いうまみに人参類とアガリスクの香りがほんのり溶け込んで、スイカの甘みがそっと顔を出す。
様々な要素があるのに丸く、押し出しが静かで、細胞に染み渡っていく。
続いて「松茸回鍋肉」・夏の回鍋肉である。
青唐辛子と腐乳、新生姜の漬物で調味した料理は、強烈に辛い。
だが辛さがシャープでキレが良く、なにより全体に豚のうまみが溢れている。
青唐辛子の辛味と漬物の酸味が素敵に出会い、腐乳の練れた塩気がそっと豚肉を支えて、箸が止まらない。
夏はこうした、豚肉とビタミンCを合わせた料理が欠かせないという。
続いて「口水茄子」よだれ鶏ならぬ、よだれ茄子である。
茄子を柔らかくしすぎてない点がよく、複雑なうまみが交差するソースと合う。
次はさりげなきようで凄かった。
「雪梨牛肉」梨と玉ねぎ、トマトと牛スネ肉の煮込みである。
牛肉に齧り付けば、ほろりと崩れるが、味が抜けていない。
牛の牛たる味がじんじんと舌に広がって、しみじみとうまい。
これはどうしたことだろう?
スネ肉は柔らかくするに従い、味が抜けていく。そのためタレの濃い味でフォローするため、塩味では供さない。
しかし塩味のこの煮込みは、牛肉の気高い味わいに満ちているのだ。
聞けば、塩と生姜汁、白酒に30分つけてから3時間茹で、玉ねぎ、梨、生姜と1時間蒸し、トマトを入れて15分蒸したのだという。
それでこの味になるのか? 不思議の極みである。
不思議はさらに続く。
「紅焼冬瓜」。皿から胃袋くすぐる香りが立ち上り、顔を包む。
エッジが立った包丁目が入れられた冬瓜は、表面だけ醤油味が付いていて、中は白い。表面だけが硬く、中は柔らかい。
その表面の醤油味と中のスープが染み込んだ淡い味の共鳴が、なんとも品があって、食べた瞬間に体の力が抜けていく。
豚肉と一時間蒸した冬瓜を、その蒸し汁を足しながら表面だけ紅焼にしたのだという。
ううむ。わかりません。
「椒香苦瓜」は、青山椒を混ぜ込んだエバミルクソースの中で海老のすり身を詰めたゴーヤが鎮座する。
ゴーヤの苦味、海老の優しい甘み、山椒の刺激、ミルクのコク。四者が魔歩く溶け合う。
クラシックだけでない、新四川料理もこの人は披露するのである。
そして「消夏健身粥」。ううむそのまま。これを食べれば昨今の猛暑でへばった体も蘇る。
とうもろこし、鶏、ハトムギ、フカヒレ、干しエビを入れて煮込んだ粥に、蓮の葉を入れて五分煮込んだ粥である。
ああ、なんたることだろう。しなやかな儚い味付けが舌を包む。添えられた牛肉と松茸の豆豉佃煮もいらない。そのままでいい。
レンゲ持つ手が、無意識に粥を運ぶ。
お腹はもう限界なのに、「滋養があるからいっぱい食べなさい」と本能が命令して、何杯もおかわりをしてしまう。
こんな粥は初めてである。
デザートは黄色いスイカのシャーベットに、赤いスイカと朝鮮人参のソース。
ああ、趙楊さん、どこまで我らの体を元気にさせるのか。