「三ヶ月先の予約たって、そのときその人がうちの料理を食べたい気分かわからないでしょ。それが分からなけりゃ、こちとらも気分がのらないからね。いやあその頃まで生きているかわからないって、断っちゃうんだ」。
その小さな割烹は、古き良き時代の香りを残していて、もう東京では出会うこともない江戸の料理を供し続けている。
名物は数多くあるのだが、実は常連にしか出さぬ料理がある。
ご主人と奥さんが、自宅で食べるように作った品々である。
昆布の佃煮は、平目の昆布〆の後の昆布を利用した料理で、味付けの塩梅にめまいを覚えた。
昆布を噛んでいくと、平目の滋味がうっすらと出てくる、品のある絶妙な味付けながら、ご飯を猛烈に呼ぶ力がある。
昆布をいかに細く均一に切るかに、心砕いているというご主人は、
「これで卵かけご飯してごらん。たまんないから」と、笑った。
「この間京都の老舗の奈良漬けもらって食べたら、まずくてびっくりしちゃった」と奥さんがいう奈良漬けは、ハグラウリに、胡瓜と茗荷、紫蘇の実を詰め、味噌に3年間漬けたものである。
味が深く、しつこくなく、塩分が丸く、噛み締めていくと、野菜と命のやり取りをしているようなしみじみとした感動があって、これもまたご飯が恋しくなってしかたない。
「東大の先生がね。まねて作ってきてどうだっていうんですよ。一口食べて、味噌はどれくらい使ったんですかって聞けば、1キロですっていう。冗談じゃない、5キロは使わないとこの味は出ないよってね」。そういって無邪気に笑う。
これも食べてみてと出されたのは、生落花生と蒟蒻と牛蒡の煮物。
「千葉に似た料理があんだけど、あれは砂糖をいっぱい使っていてね。これは出汁と醤油だけで、極僅かな砂糖だけ」。
味の染みた蒟蒻に、落花生の甘い香りが乗り移り、なんとも愉快で、おいしさに無言となる。
「大量の落花生を一時間茹でてね。一入り皮剥いて大変なんだから」と、苦労を嬉しそうに話す。
お新香の大根は三日間丸ごと干してから糠に漬ける。そして一年漬け込んだ青唐辛子醤油につけて食べる。
それらには、日本人の叡智が詰まった真実の味がある。
その味を求めて、常連客が通う。
故渡辺文雄さんは、「この店があるからこの街に移り住みたい」と通い、故石津健介さんもカウンターの隅で一人、こっそりと飲んでいた。
村松友視さん、某一流建設会社社長、ホルトハウス房子さんなど、錚々たる常連客が一人でこっそりやってくる。
機械化が進み、手間がかからず、時間が有り余るようになると、なぜか人間は手抜きする。
早くできることに価値を求める。
忙しかった時代に生まれた民族の知恵こそが、食材を生かす誠実の味だということを学ぶ
常連客達はみな、そのことを知っていて、この店を愛し続けるのである