1日の句読点。

食べ歩き , 日記 ,

一杯の珈琲を飲んで、1日に句読点を打つ。
そんな余裕を、いつも持ちたい。
だからといえ、死んでる珈琲は飲みたくない。
白いシャツに細いネクタイをした、老主人が豆を挽き、目を凝らしながら、静かに湯を注ぐ。

「ふぅ」。
運ばれた珈琲をすすれば、安堵のため息が漏れる。
体の力が抜け、心が豊かになる、
生きている珈琲は、さりげない。
何気なく、すっと口元を通り過ぎ、舌に広がり、ゆっくりと喉に流れていく。
その瞬間、香りが開き、鼻腔を叩く。
体の中に落ちた珈琲は、濃密な味と香りを膨らまし、長い長い余韻を残す。
その余韻が、頭に巡り、思索を深くする。
それが、生きている珈琲というものだ。
赤坂見附「コヒアアラビカ」にて。