マスとご飯。

食べ歩き ,

「良さが消えてしまうので、塩はしません」。
海マスである。
焼いた海マスをご飯の上に乗せた料理である。
マスだけを食べると、まだ生の気配があって、心を焦らす。
ここに塩をしてしまうと、よりおいしくはなるが、マスの艶かしさは消えてしまう。
そしてご飯と一緒に掻き込めば、マスと米はまあるく、一体となった。
マスの脂と身のうま味と米の甘みが、球体となって、舌の上を転がっていく。
ご飯とマスが同じ位置に居て、どちらが尖ったりしない。
おそらく上に乗せる量も、精妙に考えられているのだろう。
これが料理である。
同様に卵かけご飯も、料理だった。
ご飯の真ん中に落とした黄身に、数滴の醤油がかけられている。
よく混ぜて、黄身色に染まったご飯を描き込めば、まず米の甘みが広がっていく。
次に黄身の甘みが訪れて、ご飯の甘みと抱き合う。
醤油は、その二者への隠れた手助けとして、静かにいるだけであるが、存在意義を示すギリギリの量が計算されている。
米と黄身に敬意を払った醤油の数滴は、料理人としての誠実であり、誇りでもあろう。
その気配りが、心に染みる。
金沢「片折」にて。