1971年に出版された、辻静夫氏の「パリの居酒屋」という名著がある。
’あとがきで氏は、ビストロの訳に居酒屋とあてるのは、「少なからぬ抵抗がありましたが」と断りつつ、大衆食堂というものからも「かけ離れているもので、とりあえずこんな題にした」と、書かれている。
いまでは一般的となったビストロだが、実は明確に翻訳ができない呼称なのだ。
あえていうなら高級レストランではなく、庶民的な雰囲気で、フランスの惣菜や郷土料理を出す店のことをいう。
もっともレストランのような店が名乗る場合もあるが、パリでは、日本のようにホテル内にビストロが存在することはありえない。
そんな庶民のビストロを名乗る店の中で、もっともふさわしいのが「ビストロ・ド・ラ・シテ」ではなかろうか。
創業来28年。客の愛着と喧噪が染み込んだくすんだ壁や柱。
ギシギシと音を立てる木の床。深紅のベンチシート。隣同士がくっつくように配置された客席。壁一面に張られたロートレックのポスターや古いパリの写真。
成熟した店だけがもつ安らぎが漂う、東京が世界に誇るビストロである。
料理も堂々たるもの。
肉汁をししたらせる仔羊もも肉ローストや黒豚ロースのポワレ、クミンをきかせた豚スペア
リブのブレゼ。
冬には鳥のポトフやカスレが登場して、体を芯から暖める。
手軽さを望むなら、クスクスを長粒米で仕立てた「シテ丼」もある。
リエットや自家製パンもうまく、いずれも惣菜料理がもつたくましさと、毎日食べてもあ
きない温かさに満ちた料理である。
こんなビストロ精神を受け継いでいるのが、次の二店だ。
ラミティエは、僕がもっとも気に入っている店の一つ。
まずすばらしいのは、スタッフの笑顔と心のこもったサービス。
そして料理。
肉と野菜の滋味が溢れたクスクス、しっとりと仕上がったコンフィ、噛む喜びを再確認させるステーキなど、料理の本質を簡潔に描いたシェフの主張が伝わってきて、一口食べた途端に「おいしいっ」と叫びたくなる料理だ。
付け合せも主役の料理をもり立てて余りある見事さ。
ただ一点困るのは、値段が安すぎること?あまりにお値打ちなため、予約が取りにくいのである。
シラノもそんなお値打ち感がある店である。
干しプラムを添えた、鳥と白レバーのテリーヌの前菜、鴨胸肉のローストに相性のよいオリーブのソースを合わせた皿、肉の甘みがこぼれる豚のカツレツなどの主菜からデザートまで、実直かつおいしい料理を食べさせようという、ビストロ精神に富んだ店の情熱をいただくことができるのだ。
力強く、毎日食べてもあきない温かさに満ちた料理、それががビストロ料理の真髄だ。