グラタンが好物である。
小学生や中学生の頃は、母が楕円形のグラタン皿で作ってくれるのだが、好物だということを配慮して、僕の分だけ二つ作ってくれた。
グラタンで白いご飯をかき込むのが好きである。
それゆえかもしれないが、グラタンともご飯料理とも判別できないドリアが嫌いである。
母のグラタンは海老か鶏だったが、時々母が好きだったブロッコリーやカリフラワーが入っていることがあって、これには断固抗議した。
「お願いだから僕のには入れないでくれ」。
あとお願いしたのは、
「お願いだから焦げ目をたくさん作ってください」である。
あの表面の焦げ目があってこそグラタンである。
不均一のうまさの極みといおうか、焦げ目がついたところと、ついてないところが入り混じるのがうまい。
まずついてない部分を食べて満足し、次についている部分をすくって食べて、目を細める。
焦げ目は無造作に食べてしまうとすぐ無くなってしまうので、大事に隅に寄せて保管しておき、随時食べる。
また
1.表面の皮膜についた焦げ目、
2.マカロニの端っこが焦げた部分
3皿下にこびりついた焦げ目
という三つの違いもあり、焦げ目の世界は深いことを学んだ。
店によってはチーズをかけて焼くところもあり、チーズ焦げという要素も加わる。
さらにマッシュポテトを周囲に飾り絞る店もあり、芋焦げが加わることもある。
焦げ目に固執する人は多いが、この姿勢はグラタンの起源を考えると、実に正しい。
元々は「掻き取る」「ひっかく」という動詞の「gratter」に由来し、フランス南部、イタリアにほど近いサヴォワ・ドーフィネ地方で、失敗した焼き料理のおこげが美味しかったという偶然から「グラタン(Le gratin)」という言葉が生まれ、鍋にこびりついた「おこげ」や「こげ目をつける」という意味のフランス語になったという。
つまり加熱していくうちに表面に出来るきれいな焼き色の皮膜をグラタン (gratin)といい、そのように焼き色をつける技法のことをグラチネ(gratiner)という。
ちなみに卵黄を加えて泡立てた サバイヨン やソースの表面を、さっと加熱して焼き色をつけることグラッセ(glacer)というが、グラチネは、グラッセより時間をかけて焦げ目を作ることを指す。
本国でのグラタンは、ベシャメルソースに限らないのだが、日本の洋食界ではそれ以外はグラタンではない。
さて僕は、無類のグラタン好きなので、昨日も五反田「グリルエフ」に入って散々悩んだ挙句」海老マカロニグラタンを頼んでしまった。
ここのグラタンは、ホワイトソースがゆるゆるである。
このゆるゆるが、また好物なのである。
硬めのしっかりとしたソースもいいが、ゆるゆるのだらしなさが舌にとろりと、甘く広がっていくときの感覚がたまらない。
そこへ茹ですぎたマカロニのふにゃふにゃがからみ、心は溶ける。
できれば具はいらない。
そう思うほど。このゆるゆるソースと柔らかマカロニのマリアージュは美しい。
そういう意味でこの店のソース濃度は正しいのだが、焦げ目が少ないのである。
ほぼない。
焦げ目の凛々しさとゆるゆるソースの対比があってこそ、グラタンではないかと、声を大にして言いたいが、一人だったので、心の中で叫んだ。
一人心で叫びながら、粉チーズをもらい、時折かけながら味の変化を楽しみ、最後はスプーンをもらい、ソースの最後のひとしずくまで食べた。
焦げ目は残念だったが、どんなご馳走を食べこんでいようと、三つ星レストランにいってようと、この幸せだけは譲れない。
2枚目写真は、焦げ目正統の芳味亭のグラタン。