「オマールって、爪のところがおいしいのよねぇ」。
テレビ番組「料理天国」で、辻調小川シェフが作る料理を見ながら、芳村真理が嬉しそうに話を突っ込んだ。
「この人は何言っているんだろう? 意味がわからない」。
大学二年生だった僕は、面食らいながらも、いつか必ず食べてやると誓ったのであった。
おそらく日本人の中で、オマールを食べたことがある人は、まだ数パーセントだっただろう。
それから十数年経って初めて食べ、以来何回も食べる機会を得た。
コートドールの「オマールのテリーヌ ダニエル風」。
レカン時代の高良シェフの「ブルターニュ風オマールのロースト ヴァンジョーヌソース」
サンセバスチャン「ibai」での、ただの塩茹で。
数々のオマールを使ったスープ(京都ドロワの栗とのスープは良かったなあ)
Paris「L’ARCHESTE」伊藤シェフの「オマールとキャベツ、フォアグラと白トリュフを組み合わせた料理」。
北品川「AbdeF」の「オマール海老フライ」
銀座「ラフィナージュ」の「セップを練りこんだ生地がかけられた、セップのソテとソースによるオマール」
北フランス「La Grenouiellere」の「ジュニパーの葉で燻されたオマール」。
目黒「ラッセ」の「オマールのテリーヌ、ボッタルガとバルサミコ添え」
恵比寿「ルコック」の「赤ワインとオマールのジュで彩られたオマール」。
数多くのオマールが、心を揺り動かした。
だが最も感動したのhが今年だった。
「ルマンジュトゥー」である。
皿には、火を通された爪と胴体が乗せられソースがかけられている。
ちなみに写真はない。
だが今でもまぶたの裏にその光景は焼きついている。
胴体は、殻付きのまま、別の殻を蓋にして被せ、蒸し焼きにしたのだという。
その胴体を噛みしだいた瞬間、涙が出そうになった。
半生のようでいて、ミキュイとは違う。
オマールの生体に敬意を払った、精妙なキュイソンに、命の滴が滴り落ちる。
海底をゆっくりと移動するオマールの姿が見える。
こんな繊細でエレガントな食感は初めてである
爪を一口噛んで目を丸くした。
あの独特のシコっとした食感の手前にあるしなやかさが、どうにも切ない。
こちらはポシェだという。
ソース代わりに、オマールのジュとオマールバターが添えられている。
しかしそこには、美味しくさせ過ぎない自然と品性があって,それが優美を呼ぶのであった。
おそらく谷シェフは、今まで何度もオマールを料理されてきたことであろう。
しかし72歳にして新しい手法を考え出し、新たな料理を生み出す。
そんな人はなかなかいない。
「後期高齢者になるまでは頑張ります」。
そう冗談を言われる谷シェフの目には、嬉しくてしょうがないという気持ちが輝いていた。
星の数や従業員、お客さんのことからも解き放たれ、自由に新しい料理を作る。
「おいしい料理を作ろう」。
すべてのシェフはその目的を持つ。
しかし谷シェフのように、そこに遊びを持ち込める人は、なかなかいない。
そして遊びを携えたベテランシェフこそ、最強なものはない。