札幌「ラサンテ」

アスパラと共に生きる。

食べ歩き ,

長年愛を注いできたものにしか到達できない料理が、今目の前にある。
料理というものは、ここまで深く愛を追求してこそ、ようやく高みに達するものなのか。
真面目なシェフは、世界一アスパラを理解し、共に生きている。
茹でる。ソテーする。塩釜焼きにする。
ホワイトアスパラガスを、三種類の料理でいただいた。
これから先、どんなホワイトアスパラガスの料理に出会っても、心が動かないかもしれない。
そんな思いを抱かせるほどの味わいだった。
「サクラマスのスモークとエゾアワビと南蛮海老とホワイトアスパラのサラダ」は、中央に、極少量のシナの蜂蜜を入れたマヨネーズを少しだけまとわせ、瀬戸内レモンジャムを乗せた、茹でアスパラが鎮座する。
優しい甘みの穂先には南蛮海老、真ん中はサクラマス、ミネラル感のある根元は、3時間煮込んだ鮑と肝のソースといった具合に、それぞれの魚介が、アスパラの各部位と呼応する。
その出会いがエレガントで、コルシカの白ワインと合わせれば、夢になる。
次が「ホワイトアスパラとマトンのベーコンのソテ ムースリーヌ」である。
ああなんということだろう。
噛み締めれば、エキスがほとばしり、アスパラの養分が、口の中で高まっていく。
その興奮をおさめるかのように、完璧な粘度と美しい酸味をたたえた、優美なソースムースリーヌが、心を溶かす。
次がスペシャリテの「笹で包んだホワイトアスパラの塩釜焼き」である。
シャクシャク。
笹の香りを漂わせながら痛快な音で弾けるアスパラを噛んだ時、「まだ生きている」と、思った。
熊笹と塩で包まれ、230℃で8分蒸し焼きにされたアスパラは、命の気配をたっぷりと残している。
穂先を噛めば、ほのかに甘い香りが漂って、切ない気分となる。
コリッコリッ。
根元を噛めば、大地のほろ苦い養分が溢れて、ありがとうと呟く。
穂先から根元までの、それぞれの味や食感の違いが、明確にわかる。
それこそが、生きているという証なのだろう。
高橋シェフは、毎日100~120本届くホワイトアスパラを、全部1人で剥くのだという。
一本一本、剥く時の皮のあたりや具合が違うので、全部自分の手でやられる。
一回剥き、2回目はピンポイントで筋を狙って、根元中心に剥いていく。
そして加熱する。
剥くことも、加熱すること、おそらく10万本近くやられてきた結実の上に、今の料理がある。
量は質に転ず。
このアスパラ料理には、そんな料理の真実が込められている。