昭和50年から週刊朝日で連載されたページをまとめた、「私が好きなこの店一品」という本がある。
政財界の人々や、芸術家、俳優たちが自分のお気に入りの店を紹介した本だが、その中で草月会の勅使河原霞氏が、上記の書き出しで紹介していたのが、六本木「まっくろぅ」だった。
大学四年だった僕は、高級な生肉やうにのパイ焼きの写真を見ながらため息をついた。
その10年後、ようやく某芸能事務所の社長に連れて行かれたのである。レストランというより、静かな会員制サロンと行った趣で、著名な指揮者が友人と食事しており、格別な、上品な気配が漂っていた。
30そこそこの若造にはまだ早いと、空気は語っていた。
大人の店だった。小川軒の流れを汲む料理。物腰の柔らかい品をまとったマダム(2000年に亡くなられた)。マダムがヨーロッパで買い付けられた高価な陶器。本物の絵画。
伝説の店だった。ただかつて訪れていた人たちも、新しい店に浮気して足が遠のいていた人もいよう。
そんな店が九月に閉店すると聞いて、あわてて出かけた。
コンソメジュレ、キャビア、サワークリームとブリニ。見事なバランスである。
いま土からもぎ取ってきたような、みずみずしく香り高い茸のソテー。
蟹の甘い香りに思わず笑ってしまうカニコロッケとマツタケのフライ・・・。
さりげなくさんも書かれていたように、時代遅れといわばそうかもしれない。
でもなくなると聞くと、人間急に惜しむもの。
小川軒や銀座の「銀園亭」で、高級フレンチ並みの値段出すなら、ほかに行くわと思っていた僕も、あのシェフの料理が食べたくてたまらない。
パートフィロにトリュフのデュクセルとともにのせたトリュフを、包んで食べる、あまりにシンプルなトリュフ料理。
陶然となるより、「ああうまい」と笑い出す、ほかにはない単純なうまさであります。
アワビのソテー肝ソースもそう。奇もてらいもなく、創作性も時代感もなく、驚きもないが、営々と丁寧な仕事を続けてきた、「素朴なる贅沢」が味にしみている。
その極みがタンシチュー。あの艶やかに輝く、体が引き込まれそうな、漆黒のソースの、うまみの深遠に、改めて震えた夜だった。
閉店