母恋し。

日記 ,

お母さんが御主人と店を始められたのは半世紀以上前だ。
背伸びしない気取りのない味で、少しでも仕事の疲れを癒し
少しでも心を温めてもらえたら。
その想いで、店の名を「母恋 ぼこい」と定めた。
ご主人の死後は、息子たちが店を継ぎ、厨房に立つ。
お母さん曰く
「この子たちは小さい時から、兄弟げんか一つしたことないのよ」
という仲良し兄弟だ。
お運びで手伝うのも従妹であったり姪で会ったりと皆親戚だ。
お母さんは、70過ぎても80過ぎても、きりっとした着物姿で店に立ち、
「最初の一杯はお注ぎしますわ」と、ビールや燗酒を注いでくれた。
時々「私にもよろしいかしら」といって、ご返杯をもとめ
注ぐと、おいしそうに盃を空にされた。
「風営法に引っかかるのよ」といって、
途中からお酌はされなくなったが、
それでもなじみのお客さんには、最初の一杯の儀式は欠かさなかった。
青山にして、味よし値段よしという酒亭はここ一軒。
常連には、某ベテラン俳優や、世界的に著名な料理研究家やカメラマンなどがいた。
料理が誠実だから通うのだが、それよりも彼らや彼女たちの目的は、お母さんに会うことだった。
小柄で、笑うと可愛いお母さん。
80過ぎてからは早い時間だけ店にいて、家に帰られる。
だがまっすぐに帰らずに、必ず一杯ひっかけてから帰られる。
「これが楽しいのよ。知らない人とも仲良しになってね」と、
嬉しそうに笑った顔が忘れられない。
去年11月。
85歳で他界された。
今頃ご主人と、大好きな燗酒をかわしているのかなあ。
僕らの心を温め、元気を送り込んでくれたお母さん、ありがとう。
仲の良い息子たちの料理をいただきに、ずっとずっと通い続けます。
ご冥福を祈ります。

2012