すき焼きは大のごちそうである。
いくら牛肉が安くなろうとも、すき焼きが食卓に登場すると、「どひゃあー」と声を上げてしまう。
そのせいか、なかなか外で食べる勇気がもてない料理であった。
また、ほかの鍋物は食べても、すき焼きだけは、誘ってくれる友人も誘う友人もいなかった。
そこで数年前、これではタベアルキストとして失格だと、都内の名だたるすき焼き屋を七軒ほど食べ歩いたのである。
結果、驚いたことに、すき焼き屋は寂しい状況になっていた。
若者離れが進み、接待頻度が増えている。
そのため、前菜には色褪せた刺身が出され、割下の味が濃く、牛肉の質はいいものの、脂が舌に残って、何枚も食べられない店が何軒かあったのである。
しかしその反面、こんなにもすき焼きとはおいしいものだったのかと目を丸くさせ、すき焼き文化の奥深さを教えてくれる店があった。
その一軒が、関東風のすき焼きを出す「人形町今半本店」である。
まず熟練の仲居さんの技が見事といえよう。
箸裁きもあざやかに、少量の割下でいりつけるように炊くので、肉の旨味を封じ込めたまま仕上がる。
食べると、口の中は肉のジュースで満たされ、顔がだらしなく崩れていく。
そこには近江雌牛ならではの品があって、脂の甘みは舌を包み込むが、後味はきれいなので、また一枚また一枚と食べたくなってくる。
好みで両面焼き、片面軽焼きをリクエストし、味の違いを楽しむのもまたよし。最後に残った割下を玉子で溶き、玉かけご飯にして食べるとさらに至福。
手軽に食べるなら昼の六千円をおすすめする。
一方風情を感じさせる一軒が「江知勝」(閉店)だろう。
明治初年以来の時代の染みた部屋で、庭を眺めながら、気さくな仲居さんと掛け合いながら食べるすき焼きには風情がある。
肉は、肩ロース、ロース、外モモの盛り合わせ。
ねぎを焼き、その上に肉を乗せて、割下を注ぎ、たぎったところで肉を返し、溶き卵の皿に取り分けてくれる。
噛み込む旨味が楽しめる肉は、甘みの効いた割下と相性がよく、懐かしいほのぼのとした味わいを生む。
佇まいも味わいにも、数少ない東京下町情緒が漂う一軒である。
同じく老舗である「松喜屋」も、手頃な値段で良質なすき焼きをいただくことができる店だである。
牛脂を引き、少量の割下を入れて煎り付けるように焼くので、肉のうまみをそこなうことなく味わえる。
辛目の割下は、薄割(だし)を適時足してもらい、好みに合わせてもらうといいだろう。
白滝や麩、野菜類のザクも上質でサービスも爽やか。
明治初期、庶民の贅沢であったすき焼きの品位を伝える店でもある。