昨夜一番衝撃だったのが、焼蟹である。
焼き立ての脚を、まずは箸を入れてそうっと身をはずす。
食べれば、繊維は無きかの如くにほどけて、無垢な甘さが滴り落ちる。
味に耽美があって、切なくはかない。
次のもう一本は、えいっと箸を入れて身をはずす。
口にしてみると、なんということか。
先の儚さとは対照的に、繊維は凛々しく、甘みも濃くなっているではないか。
同じ蟹の脚を、同じように焼いたのにである。
つまり数10秒置いただけで、水分が抜け、繊維がたくましく、甘みが濃くなったのであった。
脆弱と勇猛と言ってもいい。
いや、無垢な色気を持つ少女と、少し艶を増した大人になりかからんとする女性のエロスが、たった1分弱の違いで誘惑される。
それほどまでに蟹という生物は、繊細でエレガントな食べ物であったことを知って、愕然とした。
「これは蟹哲学だ」。
連れが思わず言い放った言葉そのものである。
蟹を熟知しながらも、さらに真理を追求しようとする、山田さんの執念なのであろう。
繊細を生かすよう焦げを一切作らずに焼き上げた、二本の輝く脚には、その執念がみっちりと詰まっていた。