お椀は、牡丹ハモだった。
牡丹ハモといえば、最近は梅雨時期や梅雨明けが多い。
しかし本来は5月初旬のお椀だという。
脂がまだのっていない鱧は、舌の上でふうわりと崩れて、脂にじゃまされない生来の甘みをのぞかせる。
優しく、それでいて奥底にたくましさを密かに隠した甘みは、梅雨明けの鱧にはない品を漂わす。
しかしこの時期の鱧は固く、通常より細かく骨切りをして柔らかさを出す。
そこが難しいという。
そしてつゆは、春の淡よりほのかに濃く、活動的な季節へ向かう息吹を忍ばせる。
一口目は淡く、二口目はややくっきりと。
鱧の滋味が少しずつ溶け込んで、深く深くうま味をのせ、最後の一滴という高みに登っていく。
すべてを飲み干し、お椀を置く。
言葉は出ない。
「はあ〜」。
充足だけが、長いため息となって、口から漏れた。
京都「浜作」にて。
お椀は、牡丹ハモだった
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