〜「傲慢」とは〜
「痛いっ」。
噛んだ瞬間に、魚が囁いた。
もしかすると、焼かれたことに、まだ気がついていないのかもしれない。
それほどにキンメの身は、まだ命が宿っているしなやかさがあった。
一方皮は、鱗付きでバリッと焼かれている。
アマダイでは見かける焼き方だが、鱗の小さいキンメでは至難の技だろう。
噛めば皮はサクサクと痛快に砕け、対照的なしっとりとした身を引き立てる。
舌の上で、脂を滲ませながら甘く、花弁のようにはらはらと崩れていく魚の身に、色気が宿る。
そこにコブミカンのような香りを滲ませるカラマンシーヴィネガーとキンメのジュのソースが溶け合い、そのエキゾチックな酸味がキンメの脂気を引き締めながら甘美さを演出して、陶然とさせる。
茹でたてのインゲンはシャキッと弾み、キンメにはない青い香りとみずみずしい歯ごたえで、さらにキンメの火入れを魅力的に盛り立てる。
迷いがない。
すべてに意味がある。
何をどう食べさせたいのか、明瞭な確信があって、意識が皿の中へと集中している。
だからこの料理は、潔い。
「店名は英語に訳すとプライドですが、七つの大罪の一つである傲慢という意味も含んでいます。プライドを保つためには、いい意味で傲慢であることも必要だと思うのです」。
そう31歳のシェフ言った。
他者に対して優越を覚えるほどの自己満足は、日本的美醜の価値感覚では嫌われる。
しかし確固たる食材への敬意と理解の元に、既存の調理法とは違う理想を築こうとする彼の傲慢は、今最も若手料理人に必要な資質ではないのだろうか。
青山「オルグイユ」にて。
〜「傲慢」とは〜
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