「秋刀魚、焼いて」  <京都の平生>22

食べ歩き ,

「秋刀魚、焼いて」。
「ゴメン。秋刀魚終わってしもたわ。鯖はどうです? 今日の鯖はいいですよお」。
「そんなん 押し売りやん。・・・・食べる」。

「一応言うかんとね」。
鯖を食べ終わって
「食べた。きれいに食べた。もう骨とレモンのカスしかない」。
「皿がまだあるやん」。
「皿て。今度来る時は、食べる皿つくっとき」

伏見の「酒房わかば」では、こんな会話が常に飛び交って、おいしい賑わいに満ちている。
どのお客さんも、幸せな笑顔で飲んでいる。
そりゃそうである。「たん熊」で修行なさったという息子さんの作るお造りやおばんざい、お母さんの作る炒め物や揚げ物、煮魚は、どれも味がピタリと着地して、心を弾ませる。
いやそれだけでない、なによりも味わいに人情が染みていて、じわりと気分を安らげるのである。
時折起きる親子喧嘩も、また酒のいいつまみである。
ポテトサラダや胡瓜の酢の物、鶏玉とヒモの煮物、メバルの煮つけや出汁が溢れるだし巻き卵。
「どこにでもあるもんで作りました」とお母さんが、恥ずかしそうに作って出した玉子と玉葱を炒めあわせた「たまたま炒め」は、醤油と砂糖の味のあたりがほどよく、顔が崩れる。
さらには注文されてから、タマネギを切り、ミンチと混ぜこね、焼いたハンバーグは、たっぷり含んだ優しいうま味が、口の中でふわりと崩れて、食べた瞬間に、自分の母親を思い出す。
今度来る時は、玉子ほろほろや玉子くちゅくちゅも食べるからね。
裏メニューの焼飯や、それだけでつまみになる上等なタルタルで、フライも食べるからね。
ああ、また来よう。
京都に心を休めに、また来よう。