「岡半」は、東京では珍しい、関西風すき焼きである。
牛脂をなじませて葱を入れ、美しき松坂牛のサーロイン、リブロース、ミスジを横たえると、鍋より約30㎝の高さより、砂糖をハラハラとふりかける。
肉の部位や大きさによって、精妙にその量を調節するという砂糖は、均等にまぶされ、次に醤油、昆布出汁をかけて、さっと裏返す。
その瞬間である。
なんともうまい香りが立ち上がって、もう居てもたってもいられなくなる。
ごくりと喉を鳴らしていると、牛肉を溶き玉子の小鉢に入れ差し出してくれる。
すかさず食べれば、砂糖と醤油の微かな焦げ香が、松坂肉の溶けるような甘みと結びつき、舌を堕落させる。
ああ、このまま地獄に堕ちてもいいとまで思う、幸せが満ちていく。
この1分足らずの焼きが難しい。
砂糖や醤油の量、焼くように炊き、最善の状態で引き上げる。
名人であった前の女将から薫陶を受けた仲居さん達は、みな達人である。
「岡半」は肉だけでなく、ザクも素晴らしい。
特に白滝、茹でから煎りした極細の白滝を、牛脂を包み込み、からめ、何度も返しては鍋肌についた牛肉のうま味を吸わせ、卵に落とす。
安平麩も同様。この二つはよくよくうま味をしみ込ませるために、出番は一番最後となる。
コリコリと弾む白滝、ふわりと歯が包み込まれる麩。
上質な牛の甘みと砂糖や醤油や昆布だしのうま味を吸って、ああ、もうごめんなさいと顔が崩れる。
牛肉だけではない。野菜や白滝、麩や茸といったザクまでおいしく食べてこそ、すき焼きの幸せは、頂点に達するのである。