「三心」

食べ歩き ,

常に新鮮な心で望む「初心」、真理を求める強い決意を持つ心「発心」、物事に深く通じ完成させる心「了心」。
道元禅師は、それを「三心」と、説いた。
今まで会った優れた料理人は、三心を持ち続けている。
日々の仕事を的確に確認しながら、現状に慢心することなく、常に良き道を模索し続けている。
その「三心」を店名に定めた、石渕氏の仕事は、まさにその心構えを示すものだった。
すべての肴、すべての握りに工夫がある。
他と違う仕事を目指しているわけではない。
この食材にとって、真に良き仕事はなんなのか、常に追い求めている。
例えば、冷燻した金目鯛に添えた山わさびである。
冷燻によって、金目鯛のダレ感を締める気風もさることながら、添えた山わさびは、刺激が強すぎるので、出汁で伸ばし、少量の柚子皮とオリーブオイルを混ぜて、和らげてあった。
それが金目鯛の油脂分を、穏やかに引き締める。
 
イカと大根の煮物は、小やりを甘辛く煮、大根は煮ずに、辛味大根の鬼おろしを上に乗せ、煮汁は冷たくして下にひかれている。
つまり、食感、温度、味付けのコントラストを作り、煮イカのおいしさを浮き上がらせたのである。
握りもさまざまな工夫が凝らされていた。
 
しかしあえて、干瓢巻きをあげたい。
干瓢の名産地として知られる、滋賀の水口の干瓢である。
在来種の種を使い、今では希少となってしまった無漂白、天日干しされた干瓢を使う。
歯が海苔を突き破り、酢飯を過ぎると、微かな存在感をしめす干瓢に包まれる。
柔らか過ぎず、硬すぎず、丁度酢飯と抱き合う煮加減、酢飯と干瓢の量、端による事なく、正確に真ん中に収まった巻き方など、すべてが完璧で揺るぎない。
しかも驚くは、干瓢の味わいである。
甘辛い味わいは他と変わらないのだが、甘みが煮詰まったキャラメル香があった。
それがあたかも、干瓢自体が持つ力が煮詰まったような感覚を呼び起こすのだった。
干瓢巻きを食べて、初めて感じる滋味。
一口食べて、「うっ」と言ったまま、動けなくなった。
今まで数多くの干瓢巻きを食べてきたが、ベストである。
かつて、江戸で「細巻」といえば干瓢巻きをさし、1858年の「守貞満稿」に「細巻は、干瓢のみを入れる」と書かれているように、江戸発祥の干瓢巻きである。
だが、大阪にその最高峰はあった。
握りの話はまた後日。
谷町六丁目「鮨三心」にて。