目の前に、苺大福が鎮座している。
白い肌が陽光にさらされて、清らかに輝いている。餅肌の、うぶ毛のような表面が色っぽい。
この白い肢体の中に、真っ赤な苺が隠れている。透けては見えないが、確かにいる。そう思うと、もう、居てもたってもいられなくなる。
いますぐ、手に取って食べたい。だが、しばらく眺めてもいたい。
大きく口を開けて齧りつきたいだが、そっと大福の皮に、頬を摺り寄せてもみたい。
てっぺんからかぶりつくのが常道だが、ナイフでズバッと切ってもみたい。
相反する感情が交差する。これは苺大福だけの楽しみである。
そしてようやく苺大福を手に取る.
ずしり。口に運ぶ。
あんぐりと口を開け、そっと噛む。
「んぐっ」。柔らかな皮が、唇を押して広がり、歯を包み、あんこに当たる。
その瞬間だ。
「しゅぱっ」と、苺の鮮烈がほとばしる。甘酸っぱいジュースが流れ、華やかな香りが鼻に抜ける。
この出会いを考え出した人は、天才だ。ふくよかな餅皮の食感と対照的な、「しゅぱっ」が、たまらない。
幕が上がった舞台に一人、美人女優が佇んでいたような、驚きとときめき。
テーマパークに、一歩を踏み出した時の解放感。
冬のさなかに、突然春が顔を出したような、喜び。
餅の中から現れた、みずみずしい苺が発する「しゅぱっ」は、胸をこがす、演出である。
他の和菓子にはないゆさぶりが、非日常を呼ぶ。
しかし、まれに苺大福の苺には、一晩寝ていましたという、柔らかい奴がいる。あれはいけない。
もぎたてのような固さで、果肉がはちきれんばかりに果汁でみなぎっていてほしい。
苺の中に、爽やかな酸味があって、それが豆の風味が生きた優しいあんこと、共鳴してほしい。
今回「しゅぱっ」採集場所の「まめ」は、そんな苺大福である。
甘味が強く、大きく 丸い、「あまおう」の2Lを使っているので、噛む度に「しゅぱっ」と水気が弾けて、痛快な気分となる。
あんこの糖度や量もほどよく、苺とあんこの両者が、互いの良さを引き立てている。
苺の甘酸っぱさ、あんこの甘み、豆の香り、餅皮の食感。精妙に計算された均整美に、笑いが止まらない。
考えて見れば豆も苺も、こういう形で出会うとは、思わなかっただろう。それがこうして仲睦まじくやっているのである。
おいしいだけではない。
「しゅぱっ」を繰り返すうちに、なにやら楽しくなって、また一つと手を伸ばしてしまうのは、そんな豆と苺の関係に、ほのぼのと心が温められているからに違いない。
<果汁発散爽快系>。
果汁を多く含み、果皮に張りがある新鮮な果物を噛んだ時に生じる。果物単体で発するが、苺大福のような餅皮との対比によって、さらに強調される。
「しゅぱっ」採取場所 青山「まめ」
和菓子の名店。苺大福は、吟味された新鮮な苺を使用。丹念に作られた上品なあんこと苺のハーモニーは、誰もが陶然となる。要予約。