「うまい、安い、辛い」

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僕はかつて、

民族料理研究会の会長だった。

30年前、男3人で立ち上げた会は、月一回民族料理店で、腹いっぱい食べることを趣旨とした。

「うまい、安い、辛い」をスローガンに、東京中の店を食べ歩いた。

当時増え始めた世界の民族料理は、僕らの意識を東京から遊離させ、混沌の高揚へといざなってくれた。

食は本来保守的なものである。

食べ慣れ親しんだものが安心であり、おいしく感じる。

しかし民族料理研究会、略して「民料研」の会員たちは、いつも未踏の味に飢えていた。

どんな味だろうという? という恐れを伴う好奇心が、食欲を掻き立てる。現地の人が食べる姿を想像すると、その場に瞬間移動して、コーフンしてしまう。

世界の料理を食べ歩く魅力はここにある。

レストランに行く楽しみは普段の生活では経験できない、非日常の楽しみに出会うことでもある。

高級フランス料理に行くこともそうであれば、未知の世界料理を食べることもまた、非日常を得る喜びである。

そうした非日常感の強さでいえば、アフリカ料理は手強い。

「ロスバルバドス」に誘ったのは、部下の女性だった。

笑うと子供のような笑顔になる子だったが、半年前にはうつ病で悩んでいた。

ならばアフリカ料理のたくましさで、爽快にしてやろうと思ったわけである。

「セネガル風白身魚のマフェ」は、アフリカでは一般的なピーナッツバタートマトシチューだが、日本人にはなじみがない。

でもトマトの酸味と、ピーナッツバターの甘い香りがからむタラを食べた彼女は、すぐさま「おいしいっ」と、笑った。

そこへもちもちとしたマッシュポテト「フフ」を差し出して、「これ浸けると笑っちゃうよ。なにせフフだから」。

親父ギャクをものともせず、彼女はフフにはまったようである。

アフリカ料理を懸命に食べる日本女子。

妙に愛おしくなってきた。

元会長の経験から言えば、非日常の経験共有は、恋につながることがある。

次に西アフリカ系の「プーレヤッサ」。鶏肉のレモン煮込みである。

レモンの爽快な酸味の中で、ハバネロの辛味が蹴り上げる。

「酸っぱ。うっ辛っ。私辛いの、めちっゃ好きなんですぅ」と、関西訛で彼女がまた笑う。

続いてナイジェリアの「モイモイ」

しっとりとした蒸しパンといった感じで、噛みしめると豆の甘みが広がる。彼女はプーレヤッサに交互に浸けて、一心不乱に食べている。

「ごちそう様でした。アフリカ料理はまりました」。

また笑う。僕は一層愛おしくなった。

 

ロシア料理の老舗格「サラファン」の初代店主は、岡本エカチェリーナさんだった。

現店主は彼女からすべてを教わったという。

ここには和食が好きな37歳の女性を誘った。

いきなり連れてきたのがロシア料理だったので、少し戸惑っている。

だが勝算はある。

店内に入っても戸惑いは隠せない様子だったが、「ボルシチ」を一口飲んだ瞬間、「ふう~」と、ため息をついて、微笑んだ。

「おいしい」。

うっとりとしている。

そうこの店のボルシチは、よそとは違う。

穏やかな滋味が、ゆっくりと広がり、心がほぐれていく。

牛と鶏と野菜でとったスープに、ビーツと他の野菜をピュレにして加えてあるので、色合いが鮮やかであり、様々な野菜の味わいが溶け込んで、穏やかな気分を呼ぶのである。

和食好きの彼女の心も捉える、優しさである。

「お米入りロールキャベツ」の、米とキャベツの甘みが抱き合う様にも感動したらしく、皿から目を上げた彼女の目は、うるんでいた。

さらに「白いストロガノフ」。

デミソースが主流だが、「これは帝政露西亜時代の貴族、ストロガノフ伯爵が考案した原型に近いんだよ」という説明に、真摯な目でうなずいている。

サワークリームの酸味とコクが牛肉の滋味に、そっと寄り添う。

「ロシアでは、鶏が一番高級で、次が豚、そして牛なんだ」。

おじさんのトリビアにうなづく彼女の眼には、明らかな尊敬があった。

店を出る。山の上ホテルのバーに誘うと、彼女は黙ってついてきた。

 

「カルタゴ」へは、数人の女子といった。

多くの料理で、陽気にワインをがぶ飲みしたいからである。

ご主人は、トルコで出会った料理にしびれ、あの料理を再びと、24年前に店を立ち上げた。

珍しい料理で、長くやってこられたのも、味にご主人の誠実が染みているからだと思う。

この店の料理には、温かくたくましい、母の味がある。気取らないが、豊かな気分にさせてくれる、愛情がある。

豆の優しさが出たホムス、焼いた茄子の香りが後を引くババ・ガヌージでワインが進み、ヒヨコマメコロッケの香りに食欲が弾み、茄子と羊挽肉のムサカのうま味のせめぎ合いにやられる。

そしてメルゲーズのクスクス。ハリサ一人一個でね。ワインもチュニジアのミュスカから、トルコ、レバノンと旅をして、たっぷり飲んだのは、決して我々が呑兵衛だったからだけじゃない。お父さんの料理がおいしかったからである。

女子5人に男性一人という、中近東料理にふさわしいハーレム状態だったが、異常に盛り上がった。これも非日常効果のなせる業である。

どうですか。

東京世界料理の旅

素敵な女子や男子を誘って、食べに出かけられませんか? 間違いなく二人の距離は縮まります。僕は恋には至らなかったけどね。