「エスキスの料理 」 リオネル・ベカ

日記 , ポエム

「エスキスの料理 」 リオネル・ベカ
今まであらゆる料理本を読んだ。
我が家には、和食からフランス料理、イタリア料理、中国料理、中近東料理、アメリカ料理、インド料理、タイ料理、ベトナム料理他、あらゆる国、あらゆる料理人の料理本がある。
数えたことはないが、おそらく300冊はあるだろう。
しかしこの本は、まったく異なっていた。
東京で最高のフランス料理店の一つであり、世界に誇れる唯一無二の料理をいただける「エスキス」のリオネル・ベカ氏が12月に出版した料理本であるが、今までの料理本とは、一線を画す。
この本は料理本であると同時に、写真集であり、詩集であり、哲学書であり、禅の本でもある。
見て、読んで、衝撃に撃たれ、しばし動けずに沈思黙考した。
まず写真だが、料理写真以外の風景写真や人物写真などは、写真が趣味であるリオネルの写真である。
一つ一つの写真は、僕らの前で静かに佇むが、自分の眼で見ていくと、物語があり、美が潜み、実際に見える事物以上の過去と未来が覗ける。
多くの優れた写真がそうであるように、ウィスキーを片手にその写真を見ながら、しばらく過ごしたい。
そう思わせる力がある。
そして詩だ。
普通の料理本よりはるかに多く、リオネルの考え方や物の見方が語られているのだが、その文章が、その一節一節、言葉選びが胸を打つ。
多くの優れた詩がそうであるように、耽美の中に、読む人それぞれが言葉と言葉の間の空間を読んで深く瞑想に入れる時間がある。
これはリオネル自身が持つ美学を、日本語に翻訳した勅使川原さんのご苦労と凄さもあるだろう。
そして哲学である。
以前「エスキス」で出していた抽象文字のメニューのことで取材をした時、リオネルはこう話された。
「(晩秋)、(啓蟄)、(不死鳥)などそれぞれの季節をテーマに、一筆書きのような文字を書いていきます。文字自体はモチーフにせず、自分中に沸いたイメージで数百枚も書き、その中でいいやつを選んでいます。ただ何度もなんども書くうちに、もっとうまく書こうという思いがよぎることがある。こういう時はよくない。無心で手が動かないといけない。だがもっとうまく、上手にという余計な欲も見つめることも大事なのです。自分の中にある悪い部分も認めないといい料理はできない。なぜなら自分の心の中の戦いを抱えながら生きていくことが人間の宿命だから」。
この料理本の中には、そうしたリオネルが考える料理や食材、日本の文化に向けての真摯な姿勢が語られている。
リオネルの料理には、「勢い」がある。
だが「勢い」とは本来、力を語るものではなく、自我の主張でもなく、意識を傾けるものでもなく、自然の摂理の中にある、内面への問いかけであるということを、この本を通じて僕は学んだように思う。
そう、ここには真理がある。
そして最後が禅である。
別に彼は、禅宗に学んでいるわけではない。
だが彼の言葉には、日本人が忘れてしまった、忘れつつある慈しみ深い謙虚さがある。
「料理をつくる思いに込められた矛盾」という項で、彼はこんなことを書いている。
『私の意志が見えすぎないように最善を尽くし、料理全体の組み合わせの裏へ、私の気配を消し込みます。なぜなら、私の意志や存在を感じることは、食べる人の喜びを台無しにすると思うからです。食べる人には完全に自由であって欲しいと私は願います。中略 料理人であれば自分の料理が食べる人の好みではない、感動を与えないことに直面したとしても、主観である味覚の好みの前では、謙虚で明晰でなくてはいけません』。
この文章を読んだ時に、涙が滲み、視界が開けた。
そして心が軽くなった。
それが禅といわせてしまったのかもしれない。
「エスキス」の料理を食べた人も、まだ食べたことのない人も、料理を愛するすべての人がこの本をとって、料理と自分と向き合ってほしいと願う。